立ったまま重い引き戸を引くとき、手だけを動かしているようでも、足や体幹は体を支える仕事をしています。研究で筋肉の活動を細かく記録すると、手の動作を担う筋肉より先に、姿勢に関わる筋肉の活動が変わることがあります。
この先行する調整が、予測的姿勢調整です。英語の頭文字からAPAと呼ばれ、予測的姿勢制御と訳されることもあります。意識して「動く前に姿勢を正す」という手順ではなく、目的の動作に先立つ、身体全体の準備に注目した言葉です。
出典:N05-01
動作の開始を、どこで区切るか
APAを調べるには、まず何を目的の動作とするかを決めます。たとえば手で取っ手を引く課題なら、腕の筋肉が働き始める時点、取っ手に力が加わる時点、実際に手が動き出す時点は、完全には同じではありません。研究者は比較の基準を定め、その前後に体幹や脚がどう働くかを記録します。
筋肉の活動に伴う電気的な変化を測るのが筋電図です。足元の台で測る床反力は、床から身体が受ける力です。記録した信号の時刻をそろえれば、活動の大きさだけでなく、どちらが先に変わったかも比較できます。これらを時間に沿って並べることで、目にはほぼ同時に見える動作にも、先行する準備があるかを調べられます。
したがって「何秒前に始まるか」を読むときには、何の開始を基準にしたかが重要です。APAが始まる時間を理解するには、何を測り、どの時点を基準にしたのかを合わせて確認しましょう。すべての動作で同じ時間だけ先行するわけではありません。
予測する制御が、姿勢に表れる
動作の結果を見込んであらかじめ調整する制御を、フィードフォワード制御と呼びます。APAは、その考え方が姿勢に関わる筋活動や力の変化として表れる具体例です。姿勢制御という広い働きの中で、「何が先に調整されたか」を取り出して調べます。
参考記事→フィードフォワード
腕や荷物が動けば、身体に加わる力や各部の位置関係も変わります。その変化が起きてから応じる調整に加え、予想される影響へ先に備えることで、目的の動作を進めやすくします。動き始めた後にも姿勢筋の活動は変わり続けます。動き出す前の準備と、動き出した後の調整を分けると、一連の動作の流れが見えてきます。
準備は、筋肉に一斉に強く力を入れることだけではありません。筋活動の増減や、働く筋群の組み合わせも調整されます。姿勢の準備は、動作に合う筋活動の組合せを用意する働きとして捉えられます。
引く力と、支えられ方で準備が変わる
1982年、コルドとナシュナーは、立っている参加者が手で装置を押したり引いたりする課題を調べました。腕や姿勢筋の筋電図と、手元・足元の力、身体の揺れを記録し、身体がどの程度安定して支えられているかを変えて比較しました。
安定性が高い条件では、姿勢に伴う筋活動が小さくなるか、見られなくなる一方、腕側の活動は大きくなりました。同じように手へ力を入れる場面でも、身体を支える条件が変われば、必要な準備は変わったのです。
2008年の吉田らの研究では、健康な参加者12人が肩を前方へ上げる動作を、立位と座位で行いました。この課題では、ももの裏の大腿二頭筋や背中の脊柱起立筋などにAPAが観察されたのは立位でした。この課題と測定した筋では、身体の支え方によってAPAに違いが表れたのです。座るとAPAがすべてなくなる、という結果ではありません。姿勢を見るときには、見た目の形とともに、どこで身体を支えているかが手がかりになります。
動く方向に合わせて、筋活動の組合せが変わる
1995年、アルインとラタッシュは、健康な参加者が台の上で立ち、両肩をさまざまな方向へすばやく動かす課題を調べました。姿勢筋の筋電図に加え、足元で力が作用する位置や、身体の重さの中心の変化を測りました。
体幹に近い姿勢筋では、ある方向の動作に先行する活動増加が大きく、そこから方向がずれるにつれて小さくなる傾向がありました。反対方向では、その変化が見られなくなる場合もありました。一方、より末端側の筋のパターンには、参加者間の違いがありました。
この結果は、「姿勢筋はいつも同じ順に働く」と固定して考えるより、動作の方向に合わせて筋活動の準備が組み立てられることを示します。また、手首に重りを加えたときには、準備の全体的なパターンを保ちながら、一部の特徴が強まりました。方向、負荷、身体の支え方をそろえて初めて、筋活動の違いを比較できます。
足元で力が作用する代表的な位置は、足圧中心と呼ばれます。身体の重さの中心である重心とは別の量です。足圧中心が移ることと、身体全体が同じだけ移動することを区別すると、動き出す前にも足元の力の配分が変わりうることが分かります。研究では、筋電図とこうした力学的な量を合わせて、準備の働きを確かめています。
参考記事→重心
出典:N05-02
自動的な準備にも、大脳皮質が関わる
姿勢の準備を一つひとつ意識して計算しなくても、意図した動作に合う調整が起こります。その準備には、大脳皮質にある補足運動野なども関わっています。自動的に進むことと、大脳皮質が関与することは両立します。
2009年のジェイコブズらの研究は、パーキンソン病の参加者8人と、同病のない参加者8人で、踏み出し前のAPAを調べました。頭の外から磁気刺激を繰り返し与える方法で、補足運動野の働きに一時的な影響を与えると、刺激直後の最初の試行で、APAの持続時間が短くなりました。比較した別の皮質領域への刺激では同じ変化はなく、APAの最大の大きさも変わりませんでした。
この実験は、姿勢の良し悪しや施術の効果ではなく、脳の一領域がAPAにどう関わるかを調べたものです。時間の調整と大きさの調整を分けて考える手がかりになります。意図して行う動作と自動的な準備は、複数の神経回路を通じて協調しています。
日常の動きを「準備を含む一まとまり」として見る
ボディワークで手を伸ばしたり立ち上がったりするとき、動いた部位だけでなく、足や座面との接触、身体を支える位置にも目を向けると、動作を捉える範囲が広がります。椅子や取っ手の位置が違えば、必要な準備も変わると考えられます。
ただし、本人が「先に力が入った」と感じたことだけで、筋電図でいうAPAの開始時刻を特定することはできません。体験は体験として言葉にし、細かな時間関係の測定と分けて扱います。
この用語を知ると、姿勢は動作の前に完成させておく形ではなく、これからすることに合わせて準備される働きとして見えてきます。「どこを動かしたか」に「何をするために、どこで身体を支えていたか」を加えることが、動作を理解する一歩になります。
関連語
姿勢制御、フィードフォワード、網様体脊髄路、筋電図
参考文献
- [N05-01] Cordo PJ, Nashner LM. (1982). Properties of postural adjustments associated with rapid arm movements. Journal of neurophysiology 47(2):287-302.
- [N05-02] Aruin AS, Latash ML. (1995). Directional specificity of postural muscles in feed-forward postural reactions during fast voluntary arm movements. Experimental brain research 103(2):323-332.
- [N05-03] Jacobs JV, Lou JS, Kraakevik JA, Horak FB. (2009). The supplementary motor area contributes to the timing of the anticipatory postural adjustment during step initiation in participants with and without Parkinson's disease. Neuroscience 164(2):877-885.
- [N05-04] Yoshida S, Nakazawa K, Shimizu E, Shimoyama I. (2008). Anticipatory postural adjustments modify the movement-related potentials of upper extremity voluntary movement. Gait & posture 27(1):97-102.