志向性

Oct 21, 2026

しこうせい|intentionality|哲学

駅の改札で、友人を待っています。昨日のメッセージを思い出し、人の流れに目を向けます。似た上着の人を見つけて、一瞬、来たと思います。顔が見えて別人だとわかり、もう少し待とうとします。この数分のあいだ、私たちは、思い出す、見る、期待する、確かめるという異なる経験をしています。 I1 I2

それぞれの経験には、向かう先があります。メッセージを思い出し、歩いてくる人を見て、友人の到着を期待します。このように、意識や心の働きが何かについてのものであることを、哲学では志向性といいます。英語ではintentionality、ドイツ語ではIntentionalitätと呼ばれます。 I1 I2

志向性の説明で使う対象という語には、人や物に加えて、出来事や関係も含まれます。友人が来るという出来事、約束の時刻、明日の予定なども、考えたり願ったりする内容になります。「約束より遅れている」という、時刻どうしの関係を気にかけることもあります。 I1 I2

何かをしようと決心する意図も、志向性の一つの形です。志向性という語が扱う範囲には、それに加えて、ふと音が聞こえることや、突然ある出来事を思い出すこと、相手を心配することなども含まれます。自分から意識を向けようと努力していなくても、経験は何かについてのものになっています。 I1 I2

心の働きには、何かが現れている

この特徴を近代の哲学で大きく取り上げたのが、フランツ・ブレンターノです。1874年の『経験的立場からの心理学』で、彼は、心的な現象に共通する特徴として、対象へ向かうことを挙げました。何かを思い浮かべ、何かを肯定したり否定したりし、何かを愛し、何かを望みます。働きの種類が変わっても、そこには何かとの関わりがあります。 I3 I1

ブレンターノが物理的現象と呼んだのは、見える色や形、聞こえる音などです。その色を見る心の働きには、見られる色との関わりがあります。彼は、このような対象との関わりによって、心的現象を特徴づけました。彼の授業を受けたフッサールは、対象がどのような意味と姿で経験されるかを、さらに細かく調べていきました。志向性は、やがて現象学の中心的な研究課題になります。 I3 I1

同じことを、信じることも願うこともできる

「友人が時間どおりに来る」と信じています。「友人が時間どおりに来る」と願っています。どちらも、話題になっている出来事は同じです。信じているときには、それを実際にそうなることとして受け止めています。願っているときには、そうなってほしいこととして捉えています。 I4 I5

フッサールは『論理学研究』で、こうした働きの種類と、そこで何がどのように捉えられているかを分けて分析しました。疑う、願う、判断するという働きの性格を、作用の質と呼びます。そして、その働きが何をどのような内容で捉えるかを、作用の質料と呼びます。友人の到着を願う場合なら、願うという働きと、友人が時間どおりに来るという内容を分けて考えられます。 I4 I5

対象が同じでも、その捉え方には違いがあります。今度は、改札から来る人を、遠くでは「赤い上着の人」として見ていましたが、近づくと「待っていた友人」だと気づいたとしましょう。赤い上着を着ているという理解に、その人を以前から知っているという意味が重なります。同じ人に向かいながら、何として捉えているかが変わっているのです。 I4 I5

図 13 · 志向性 · 本文へ配置済み「友人が時間どおりに来る」という同じ内容を上に置き、下で「そうなると思う」と信じる場面と「そうなってほしい」と願う場面を比較する。
同じ出来事について、異なる心の働きが成り立つ。

原典の例を日常場面に置き換えた説明図です。友人が実際に到着したことを示す図ではありません。

実在しないものについても、考えられる

小説に登場する竜の姿を思い浮かべることもできます。翼の大きさや声を想像し、物語の中で飛び立つ場面を思い描きます。そのときの想像には、確かに内容があります。現実に竜が存在することを、先に確かめる必要はありません。 I4 I5

ここには、志向性を考えるうえでの難しさがあります。手で物を押すという関係なら、押す手と押される物が必要になります。ところが、何かを考えるという経験は、その何かが現実に存在しない場合にも成り立ちます。意識が対象へ向かうということを、二つの物が接触する関係と同じようには説明できません。 I1 I4 I5

フッサールは、神話の神ユピテルを思い浮かべる例を使って、この問題を論じました。実際に生じているのは、ユピテルを思い浮かべる経験です。その経験を細かく調べても、神そのものが心の一部として入っているわけではありません。想像の内容があることと、その対象が実在することとは、それぞれ別に考えられます。 I4

改札で別人を友人だと思った場面では、目の前に、一人の人が実際に歩いています。その人を待っていた友人として捉えたのが、見間違いです。顔が見えて別人だとわかると、目の前の人の捉え方が修正されます。竜の想像では対象の実在が問題になり、この見間違いでは、実際にいる人を誰として受け取ったかが問題になります。 I4 I5

思っていたことが、確かめられる

友人から「北口で待っている」と連絡が来ます。まだ姿は見えていませんが、何を言われたかはわかります。北口へ行き、友人の姿を見つけると、さきほど言葉で理解していたことが、実際の光景によって確かめられます。 I4

フッサールは、意味していたものが、より直接的に与えられる経験によって満たされることを、充実と呼びました。友人を待つ例では、言葉で理解していた相手の居場所を、実際に見ることがそれにあたります。「ああ、この人がここにいたのか」と、先ほどの理解と今の光景が結びつきます。 I4

人を待っている場面では、このつながりが少しずつ進みます。遠くの上着が目印になり、顔を見て確かめ、声を聞いて、探していた相手だとわかります。それぞれの経験には、すでにわかっていることと、これから確かめられることがあります。予想と合わなければ、別の人だったという理解へ変わります。 I4

注意していない背景にも、世界がある

友人に気づいた瞬間、周囲には改札があり、案内板があり、ほかの人が歩いています。それらを一つずつ詳しく見ていなくても、友人は駅のその場所にいる人として見えます。手前を誰かが横切れば、友人の姿はいったん隠れ、すぐにまた現れます。 I2

フッサールは『イデーンⅠ』で、注目している対象の背景にも、意識されているものがあると論じました。案内板へ視線を移せば、さっきまで背景だったものが、注意の中心になります。今度は案内板の文字を読みながら、その横に立つ友人の姿が視野の端に見えています。 I2

友人が「右の階段のところにいる」と言えば、その言葉を頼りに、いま見えている駅の中を探せます。階段や改札の位置を一つずつ思い浮かべ直さなくても、周囲の場所が、これから視線を向けられる広がりとして保たれています。注目する対象の変化は、この広がりの中で起きます。 I2

手を振る身体も、相手へ向かう

身体の動きにおける志向性を深く論じたのが、メルロ=ポンティです。『知覚の現象学』では、友人に手招きをする場面が取り上げられます。相手との距離や、相手が呼びかけに応じようとしているかが、身振りの中で受け取られます。相手が応じたがらないと、思案を挟まず、いらだった身振りになるという例です。 I6

メルロ=ポンティは、身体が状況の中で対象へ向かう働きを、運動的志向性として論じました。手招きには、相手にこちらへ来てほしいという意味があります。相手の姿や反応を受け取ることと、それに応じて手を動かすことが、一つにつながっています。 I6

参考記事→身体化認知

駅の待ち合わせでも、こうした身振りの変化を経験します。改札の向こうの友人に、手を振ります。まだ気づかないので、身振りが大きくなります。こちらに気づいて近づいてくれば、腕を下ろします。動きを一つずつ言葉で決める前から、呼びかける身振りは、相手との関係の中で変わっています。 I6

関連語

現象学、身体性、身体図式、エポケー

出典

START YOUR JOURNEY

目的に合わせて選べる2つの道

🌿 ご自身のケアに

週替わりのワーク動画で、心身を整える。
セルフケアを習慣化したい方へ。

オンライン教室(一般)
🎓 指導・探求のために

脳神経系と骨格構造を論理的に学ぶ。
指導者を目指す方のための認定講座。

インストラクター養成
Follow me
情報発信に力を入れています。