じつぞん|existence; Existenz|哲学
仕事を続けるか、別の道へ進むかを考えている人がいます。年齢、職歴、得意なことを紙に書けば、今の自分について多くの情報を並べられます。それでも「この先をどう生きるか」という問いは残ります。条件を比べている間にも生活は続き、選んだ道を実際に歩くのは本人です。
実存は、哲学では、自分の生き方が自分自身にとって問題になるような、人間の具体的な存在のあり方を表します。自分がいま生きていて、何かを大切にし、迷い、行動し、その結果を経験していきます。その一人ひとりの生を出発点にする言葉です。
英語のexistenceやドイツ語のExistenzは、広く「存在すること」を意味する場合もあります。日本語で実存というときは、とくに実存哲学や実存主義の文脈で、当人にとって切実な人間の存在を指すことが多いです。何に重点を置くかは、キルケゴール、ハイデガー、サルトルらの間でも異なります。
知っていることを、どう生きるか
この問いを強く打ち出した一人が、19世紀デンマークの思想家キルケゴールです。人間や世界について精密な理論を作る人も、その理論を考えている間、自分の人生を生き続けています。キルケゴールは、思考する人自身のこの立場を重く見ました。
1846年の『哲学的断片への結びの非学問的後書き』は、ヨハネス・クリマクスという仮名の著者を通して、この問題を論じます。そこで中心になるのは、倫理や信仰に関わる真理を、その人がどう引き受けて生きるかです。
たとえば「人を大切にすることは重要だ」と理解する人が、実際に時間や労力を誰に使うかで迷うとします。友人に会うのか、家族の用事を手伝うのかと考えます。その場で何をするかによって、大切だと考えていることへの関わり方が表れます。
この著作の中心には、キリスト教をどう生きるかという問いがあります。教義や歴史を調べる人も、自分が信じる者として生きようとすると、その教えにどのように関わるのかが問題になります。クリマクスは、客観的な確実さが得られない中で、自分の生をかけて信仰に関わるあり方を論じました。キルケゴールの実存への関心には、この宗教的な背景があります。
いまの自分と、なりうる自分
ハイデガーは1927年の『存在と時間』で、自分自身の存在に関わりながら生きる存在者を「現存在」と呼び、そのあり方に「実存」という語を用いました。現存在は、そのつど私たち自身です。自分がどうあるかを気にかけ、いくつもの可能性に向かって暮らしています。
たとえば教師について考えるなら、勤務先や資格を挙げることに加えて、授業にどう取り組み、生徒にどう向き合うかが、その人のあり方に関わります。毎日の行為の中で、教師としての自分を生きています。明日には別の向き合い方をする可能性もあります。
ハイデガーにとって、実存はこのように可能性に関わる存在の仕方を表します。人に応じたり、仕事を引き受けたり、いつものやり方を続けたりします。こうした日々の取り組みの中で、人はすでに自分の可能性を生きています。将来の計画を意識して立てているときにも、慣れた仕事をこなしているときにも、この関わりはあります。
人は、自分で選ばなかった時代や言語、人間関係の中で、すでに生きています。ハイデガーは、すでにある状況を引き受けている側面を「被投性」、そこから可能性へ向かう側面を「企投」として論じました。仕事を始めたり、人と関わったりするときも、すでに暮らしている世界の中から取り組んでいます。
人は生の途中にいるまま、これまでの経験から次へ向かいます。かつて遠回りに思えた仕事が、新しい道へ進む手がかりになることもあります。今後の可能性によって、過去の経験の意味も変わってきます。ハイデガーが実存を時間との関係から考えるとき、過去・現在・未来は、このように生の中で結びついています。
「実存は本質に先立つ」
サルトルは、1945年の講演を基に1946年に刊行された『実存主義はヒューマニズムである』で、「実存は本質に先立つ」という表現を広めました。本質とは、そのものが何であるかを定める性質や意味のことです。彼はこれを、ペーパーナイフの例から説明しました。
ペーパーナイフを作る職人は、何のために、どのような物を作るかを考えています。その設計や用途に沿って、具体的な道具が作られます。サルトルの無神論的な実存主義では、人間には、これと同じように生き方をあらかじめ定めてくれる神の設計図がありません。人は生き始めた後、自分の行為を通して、どのような人間になるかを形作っていきます。
この考えを日常へ引き寄せるなら、誠実であろうとする人は、約束を守り、失敗した相手への接し方を考えるといった行為の中で、そのあり方を具体化します。自分について思い描いている像が、毎日の振る舞いを通して問われるのです。
サルトルは同じ講演で、戦争中、母のそばに残るか、イギリスへ渡って自由フランス軍に加わるか迷う青年を取り上げました。兄を戦争で失った母にとって、青年は大きな支えでした。身近な一人を支える責任と、広い共同体のために戦う責任がぶつかります。どちらも価値のある理由を持ち、一般的な教えだけで行動が一つに決まる状況ではありません。
母のそばにいれば、母を助けるという行為の効果は確かです。軍に加わる道では、望んだ働きができるかも不確かでした。青年は、その違いも含めて、自分が何に関わるかを決めなければなりません。サルトルがこの事例で示したのは、選んだ行為によって、自分の生き方を形作り、その選択を自分のものとして負うという重さです。
サルトルの青年の事例を説明する図です。最終的な選択は描いていません。家と海岸は説明用の背景で、実在の場所や渡航経路を再現したものではありません。
条件の中にある自由
実存を考えると、自由は具体的な条件の中で問われます。仕事を変えようとする人なら、収入、家族との関係、健康、住む場所などが選択に関わります。そこから進める道や、進むために必要な負担は、人によって異なります。
その条件をどのように受け止め、何を大切にして応じるかも、生き方の一部になります。仕事を続ける場合でも、いつもの流れで続ける場合と、家族との生活を支えようとして続ける場合では、当人にとっての意味が変わります。
参考記事→自由意志
たとえば職業への憧れも、身近にその仕事をしている人がいたことや、育ってきた場所で何が評価されていたかと結びつきます。自分の希望を語る言葉も、人との暮らしの中で覚えてきたものです。
限りのある時間の中で
実存の議論では、不安や死も重要なテーマになります。選んだ道が正しいと保証されないことや、自分の生に終わりがあることは、可能性への関わりを揺さぶります。いくつもの道を思い描いている間にも時間は進み、人や状況との関係は変わっていきます。
日常では、周囲がしていることに合わせて、あまり迷わず暮らせます。そのなじみが崩れたときに、「自分は何のためにこれをしているのか」という問いが浮かぶことがあります。ハイデガーは、普段の自明さが揺らぐ不安や、自分の有限性に関わるあり方を、現存在を理解する手がかりにしました。
仕事を変えようかと迷う人は、考えている間にも、いまの仕事を続け、人に会い、家族と話しています。迷った末に同じ仕事を続けるとしても、大切にすることや人との向き合い方は変わりえます。経歴を紙に書き終えたあとにも、本人には、自分の生をどう続けていくかという問いが残っています。
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出典
- S1 Kevin Aho (2023). Existentialism. Stanford Encyclopedia of Philosophy.
- S2 Søren Kierkegaard(仮名著者Johannes Climacus) (1846). Concluding Unscientific Postscript to Philosophical Fragments(哲学的断片への結びの非学問的後書き). 原題 Afsluttende uvidenskabelig Efterskrift til de philosophiske Smuler.
- S3 John Lippitt; C. Stephen Evans (2023). Søren Kierkegaard. Stanford Encyclopedia of Philosophy.
- S4 Martin Heidegger (1927). Sein und Zeit(存在と時間), §§9, 31, 58, 68. 1927年初版。参照:標準頁42(GA2頁56)、145、148、284、350.
- S5 Mark Wrathall (2025). Martin Heidegger. Stanford Encyclopedia of Philosophy.
- S6 Jean-Paul Sartre (1946). L’existentialisme est un humanisme(実存主義はヒューマニズムである). 1945年講演、1946年刊.
- S7 G. J. Mattey (2017). Sartre’s “Existentialism is a Humanism”. University of California, Davis, Philosophy 1, Spring 2017.