感情を言葉にすると、整理しやすくなるのはなぜか|開放系と閉鎖系 No.17

Aug 19, 2026

開放系と閉鎖系シリーズ|内部モデル・圧縮・学習 第4回(全5回)

前の記事では、学習を経験から意味のあるまとまりを作る過程として考えました。この記事では、同じ構造を感情と言葉の関係へ広げます。感情に名前を与えることが経験の整理を助ける一方、言葉が経験を固定してしまうこともあります。自分の感情をどう理解するかを考える手がかりになります。

感情へ言葉を与えると、漠然とした経験を区別し、扱いやすくなる場合があります。感情調整と学習に共通する圧縮の構造を見ます。

感情は、身体感覚、状況、過去の経験、概念などから構成されます。

感情も内部モデルによって構成される

この議論は感情にも接続します。バレットの構成主義的情動理論では、情動を、外部の刺激によって既成の感情回路が起動するだけのものとは捉えません。身体の内部や外界からの感覚を、過去の経験や概念によってカテゴリー化・予測することで構成されるものと説明します [1] 。近年の整理でも、感情のカテゴリーは固定的な実体というより、文脈に応じて脳が構成するカテゴリーとして論じられています [2]

この観点からすると、感情も次の形で構成されます。

 身体状態・出来事 → 過去経験 → 概念 → 意味づけ → 特定の情動経験

したがって感情の調整も、内部モデル形成という観点から考え直せます。

この記事が使うのは、この理論の「形」の部分です。 情動が保存された反応の再生ではなく、過去の経験から作られた概念を使ってその場で構成される。この形がこの記事の内部モデル観と一致します。

感情ラベリングとは「意味ブロック化」ではないか

「胸がざわつく」「何となく苦しい」「落ち着かない」という未分化な経験があるとします。この状態では、何が起きているのかが十分に構造化されていません。

そこに 「不安だ」 というラベルをつける。さらに 「人からどう評価されるか分からないので不安なのだ」 と理解する。さらに 「自分は不確定な対人状況ではこの反応が出やすい」 という上位のモデルへ整理する。

すると次の階層的な内部モデルが形成されます。

 身体感覚 → 感情カテゴリー → 状況的意味 → 自己についてのパターン

感情を言葉でラベリングすること(affect labeling)については、それ自体が明示的に「感情を下げよう」とする行為でなくても、偶発的な感情調整として働く可能性が研究されています [3] 。情動語や情動概念が、感情の知覚やカテゴリー形成に関与することを示す研究もあります [4] [5]

したがって感情ラベリングは、この記事の観点から、

未分化な情動経験を、操作可能な意味ブロックへ変換すること

と考えられます。

経験を意味へ圧縮する

ここから、「悲しかった」「怒っていた」「怖かった」という言葉の意味を評価し直せます。

これらは単なる出来事の説明ではありません。生々しく、多数の感覚や思考を含む経験を、 「これは悲しみだった」 という一つの意味単位へまとめています。つまり次の変換です。

 生の経験 → 意味をもった経験 → 記憶可能な出来事

この意味では感情ラベリングは、 経験の意味的な圧縮 とも表現できます。

ただし、「ラベリングすれば必ず記憶が薄れ、忘れられる」とまでは現時点では言えません。 より慎重には、

感情経験を概念化することで、それを未分化な状態のまま受けるのではなく、認知的に扱える対象へ変える

と考えるのが適切です。

物語化というさらに上位の内部モデル

感情ラベリングよりさらに高次の方法として、 物語化 があります。

「苦しい」という単一の感覚を、次の時間的・因果的な構造へ整理します。

 仕事で失敗した
 ↓
 他人から能力を低く評価されたように感じた
 ↓
 そのため恥ずかしさと不安が生じた
 ↓
 しかし一つの失敗と能力全体は別である

ここでは複数の出来事が、 原因 → 出来事 → 解釈 → 感情 → 結果 という大きな意味ブロックになります。

したがって物語とは、

時間方向へ展開する複数の経験を、一つの因果的・意味的な構造へまとめた内部モデル

とも捉えられます。 これまでの議論で三つの圧縮の型のうち、物語化にあたるものです。

感情調整と勉強は同じ認知構造をもつ

一見すると、数学の勉強と感情調整はまったく異なる活動です。しかし内部モデル形成の観点では同型になります。

  学習 感情調整
入力 大量の情報 身体感覚・出来事
パターン発見 パターン認識
概念化 感情カテゴリー
意味ブロック形成 意味づけ
記憶 物語化
自動化 自己モデルへの統合
出力 上位の思考 上位から状況を扱う

つまり、どちらも、

生の情報を、再利用可能な意味単位へ変換する活動

です。

ゼロベース処理の問題

このモデルからすると、人間が毎回ゼロベースで考えることには大きなコストがあります。

数学で7×8を毎回、7+7+7+7……と計算していたら、その先の複雑な数式を扱うための認知資源がなくなります。外国語でも、文法の規則を毎回一から論理的に導出しなければならないなら、文章全体の意味を考える余裕がなくなります。

感情についても同じです。返信が遅れただけで、次のように毎回ゼロベースの推論を行えば、小さな出来事が非常に大きな認知負荷を生みます。

 なぜ返事が来ないのか → 嫌われたのか → 何かしたのか → 関係が壊れたのか

これに対し、「人は忙しければ返信が遅れることがある」というモデルが安定していれば、そこで探索を停止できます。

つまり内部モデルには、

認知的な既定値を作り、不要な探索を止める

機能もあります。

内部モデルは「自由度を減らす」

内部モデル形成の重要な機能の一つは、世界の解釈可能性をある程度、限定することです。

何が起きているか全く分からない状態では、あらゆる可能性を検討しなければなりません。しかし「これは○○という種類の出来事だ」とカテゴリー化できれば、考慮すべき可能性が減ります。

これは認知の自由度を制約します。一見すると柔軟性を失わせるように見えます。しかし有限な認知能力しかもたない人間にとって、 すべての可能性を常に開いておくことは不可能 です。

したがって内部モデルとは、 世界の可能性空間を適切に制約する仕組み でもあります。

これはこれまでの議論で「構造化とは可能性空間の縮約である」という原理が、個人の認知に現れた形です。 そこでは、ある水準の自由度を減らすことが、その上位に新しい自由度を生むと述べました。ここでも同じです。意識的に処理しなくてよいものが増えることで、より高次の思考が可能になります。

内部モデルの危険性

ただし、内部モデル形成には当然、問題もあります。

圧縮するということは、細部を捨てることでもあります。 概念は、多数の具体例の共通部分を抽出する代わりに、個々の具体例の特殊性を落とします。

したがって内部モデルが強固になるほど、

 現実 → 内部モデルを修正する

よりも、

 内部モデル → 現実をそのように解釈する

力が強くなります。その結果、固定観念、ステレオタイプ、過剰な一般化、思い込み、教条化、現実との乖離が生じます。

したがって理想は、 内部モデルをもたないこと ではありません。

十分に高度な内部モデルを形成しながら、それを外部フィードバックによって更新可能にしておくこと

です。ここで、文化論に再接続します。

個人の認知における開放・閉鎖フィードバック

個人の認知にも、 開かれたフィードバックループ 閉じたフィードバックループ を想定できます。

開かれた認知

 現実 → 内部モデルによる予測 → 行動 → 結果 → 予測とのズレ → 内部モデル修正

この状態では、内部モデルは仮説として利用されます。現実と合わなければ変えます。

閉じた認知

 内部モデル → 現実を解釈 → モデルと一致する情報を重視 → モデルを強化 → さらに同じ解釈

この状態では、内部モデル自身が評価の基準になります。

文化論で文化について述べた構造と、ほぼ同じです。 文化における「現実が文化を選ぶ状態から、文化が人間を選ぶ状態へ」という転換は、個人の認知では「現実がモデルを修正する状態から、モデルが現実を解釈する状態へ」という転換として現れます。

参考文献

   4. バレット(Barrett, L. F.). “The theory of constructed emotion: an active inference account of interoception and categorization.” Social Cognitive and Affective Neuroscience , 12(1), 1–23 (2017). DOI: 10.1093/scan/nsw154. 情動を、内受容・概念・予測などを通じて構成されるものとして捉える主要な論文です。 https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC5390700/

   5. バレット(Barrett, L. F.). “The Theory of Constructed Emotion: More Than a Feeling.” Perspectives on Psychological Science , 20(3), 392–420 (2025). DOI: 10.1177/17456916251319045. 情動カテゴリーを固定的な実体ではなく、文脈に依存して構成されるカテゴリーとして改めて整理しています。 https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC12164598/

   6. Burklund, L. J., Creswell, J. D., Irwin, M. R. & Lieberman, M. D. “The common and distinct neural bases of affect labeling and reappraisal in healthy adults.” Frontiers in Psychology , 5:221 (2014). DOI: 10.3389/fpsyg.2014.00221. affect labeling が偶発的な感情調整として作用する可能性を扱っています。 https://www.frontiersin.org/journals/psychology/articles/10.3389/fpsyg.2014.00221/full

   7. Gendron, M., Lindquist, K. A., Barsalou, L. & Barrett, L. F. “Emotion Words Shape Emotion Percepts.” Emotion , 12(2), 314–325 (2012). 感情語・概念が他者の情動知覚に影響することを扱った研究です。 https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC4445832/

   8. Hoemann, K., Xu, F. & Barrett, L. F. “Emotion Words, Emotion Concepts, and Emotional Development in Children: A Constructionist Hypothesis.” Developmental Psychology , 55(9), 1830–1849 (2019). 情動カテゴリー・情動概念と言語、予測処理との関係を論じています。 https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC6716622/

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