【工学化と抽象化 No.19】私たちは、世界そのものを受け取っているわけではない

Aug 18, 2026

工学化と抽象化シリーズ|第3部「媒介化とメタ化」第1回(全12回)

同じ映画を見ても、ある人は希望の物語だと言い、別の人は残酷な物語だと言います。同じ商品を見ても、便利な道具だと感じる人もいれば、ある生き方の象徴として受け取る人もいます。

私たちは対象をそのまま受け取っているつもりでも、実際には、注意を向けた部分を選び、知っている言葉に置き換え、過去の経験と結びつけています。

人間は世界そのものではなく、世界から選び取り、圧縮し、意味づけたものを経験しています。

これは認識の欠陥ではありません。複雑すぎる世界の中で行動するために必要な働きです。問題は、圧縮することではなく、何を残し、何を捨てたのかを忘れてしまうことにあります。

二つの論考をつなぐ「圧縮」

このシリーズの前半では、近代社会が人間を扱いやすい形へ変換してきた過程を見てきました。

人間 → 労働力 → 能力 → KPI

この変換は、人を比較し、配置し、評価するための圧縮です。本シリーズでは、これを操作的抽象化と呼びました。

ここから扱うのは、一見するとまったく違う領域です。作品の考察、レビュー、ブランドの意味、SNS上の自己像、二次創作、ファン同士の語りです。

ここでも、経験は別の形へ変換されます。

作品 → 解釈 → 考察 → ナラティブ

こちらは、理解し、意味づけ、共有し、創作するための圧縮です。本稿では解釈的抽象化と呼びます。

二つは同じ圧縮でも、目的と帰結が違います。KPIは給与や配置を実際に決めますが、一人の感想が直ちに資源配分を決めるとは限りません。意味をつくる営みをすべて管理へ還元することも、指標を単なる解釈として扱うこともできません。

同じ表現が二つの目的に使われる

情報社会では、この二つが同じ表現の上で重なります。

SNSへ書いた感想は、本人にとっては経験を理解し、他者と共有するための表現です。一方、プラットフォームにとっては、嗜好を推定し、表示内容を決めるための行動データになります。

プロフィールもレビューも投稿も、見る側の目的によって、解釈的抽象化にも操作的抽象化にもなります。

その結果、次の循環が生まれます。

経験・行為 → データ化 → 分類・採点 → 可視性・機会の配分 → 予期的な自己調整 → 新たな経験・行為

人は意味を表現し、その表現が評価や配分へ取り込まれ、何が見られやすいかを予想して次の表現を調整します。管理の内面化と自己のメタ化は、この循環を異なる側から見たものです。

人間は世界を圧縮しなければ行動できない

本稿は、次の三つを出発点に置きます。

  1. 人間の注意、記憶、情報処理能力には限界がある。
  2. 世界は、一人の人間が一度に把握できないほど多様で複雑である。
  3. そのため人間は、選択、分類、単純化、因果づけ、物語化によって世界を扱える形へ圧縮する。

これは実験で直接証明された法則というより、人間の認識を考えるための哲学的前提です。ただし、そこから派生する個々の主張は検討できます。

たとえば、不確実な状況で人が代表性、利用可能性、アンカリングと調整などの簡便な方法を使うことは、トヴェルスキーとカーネマンによって示されました。こうした方法は限られた情報から素早く判断するために役立ちますが、条件によっては体系的な誤りも生みます。[1]

圧縮には、利得と代償の両方があります。

その質を見るには、少なくとも二つの軸があります。一つは、どのように単純化しているかを自覚し、現実に合わせて修正できるかという圧縮の精度です。もう一つは、圧縮する前に、どれだけ多様で豊かな経験へ触れているかという入力の帯域です。後の記事では、この二つ目の軸から直接経験と身体性を考えます。

圧縮されたものは他人へ渡せる

圧縮したものには、その先があります。

第一に、伝達できます。 生の経験そのものは渡せませんが、「怖かった」「懐かしかった」と言葉にすれば他人へ渡せます。

第二に、操作できます。 数値やカテゴリーになれば、比べ、並べ、順位をつけられます。経験が物語になれば、そこへ意味を与えられます。

第三に、読み解けます。 表現を受け取った人は、なぜその言葉を選んだのか、何を言わなかったのかと、送り手の心や背景を読もうとします。その読解が、さらに新しい解釈を生みます。

考察や批評は、突然現れた特殊な文化ではありません。圧縮された表現から、その背後にあるものを読もうとする、人間の働きの延長にあります。

現代に新しいのは、この働きの存在ではありません。規模、速度、可視性、そして解釈の層が重なる仕方です。

なお、「人間は世界を圧縮して捉える」という説明自体も、複雑な認識をまとめた一つの圧縮です。本稿では絶対的な真理ではなく、個々の現象を検討するための暫定的な見取り図として使います。

次の記事では、理解のための圧縮である「解釈的抽象化」が、どのように何層もの関係を作るのかを見ます。

この記事の要点

  • 人間は、複雑な世界から一部を選び、圧縮することで認識し行動します。
  • 操作的抽象化は比較・予測・管理のため、解釈的抽象化は理解・共有・創作のために使われます。
  • 同じ投稿やプロフィールが、本人には表現、プラットフォームにはデータとして使われます。
  • 圧縮は誤りではなく必要な働きですが、何を捨てたかを忘れると現実から離れます。
  • 圧縮の質は、修正可能性だけでなく、圧縮前の経験の豊かさからも考える必要があります。
  • 現代的な変化は、解釈の存在ではなく、その規模、速度、可視性、重なり方にあります。

参考文献

  1. Tversky, A., & Kahneman, D. (1974). “Judgment under Uncertainty: Heuristics and Biases.” Science, 185(4157), 1124–1131. https://doi.org/10.1126/science.185.4157.1124

次の記事:抽象化は、なぜ何層にも積み重なるのか

START YOUR JOURNEY

目的に合わせて選べる2つの道

🌿 ご自身のケアに

週替わりのワーク動画で、心身を整える。
セルフケアを習慣化したい方へ。

オンライン教室(一般)
🎓 指導・探求のために

脳神経系と骨格構造を論理的に学ぶ。
指導者を目指す方のための認定講座。

インストラクター養成
Follow me
情報発信に力を入れています。