工学化と抽象化シリーズ|派生編「媒介化時代のマーケティングとクリエイティブ」第2回(全4回)
顧客の声を聞き、ニーズを調べ、求められているものを作る。マーケティングの基本として、これは間違っていません。
けれども、理解したニーズをそのまま形にするだけでは、作品や商品が「予想どおり」で終わることがあります。役に立っても、語りたくならない。満足しても、心には残らない。
人は欲しかった答えだけでなく、まだ言葉にできなかった感覚に出会ったときにも動かされます。
では、ニーズを無視せず、それに従属もしないクリエイティブはどう考えればよいのでしょうか。
解釈できることも価値になる
商品や作品の価値は、機能、品質、価格、デザインだけでは決まりません。
受け手が自分なりの意味を見つけられること、他者と話したくなること、自分や社会の問題へ結びつけられること、二次創作や冗談へ展開できることも、価値になりえます。
ここでいう「解釈可能性」は、説明不足にすることではありません。また、曖昧であるほど優れているという意味でもありません。
「自由に解釈してください」と強く合図しすぎれば、それ自体が解釈の仕方を指定してしまいます。必要なのは、作り手が意味を放棄することではなく、受け手が自分から入っていける余地を残すことです。
余白とは、解釈の方法を指示する空白ではなく、受け手が経験を持ち込める空間です。
ニーズの理解と直接的な充足を分ける
従来の考え方を単純化すれば、「ニーズを発見し、それに合う商品を作る」と表せます。
しかし、受け手が大量のコンテンツに触れ、展開や意図を先読みする環境では、完全に一致した表現が予定調和に感じられることがあります。
そこで考えられるのが、深いニーズや生活の文脈を理解したうえで、表現を少しずらすことです。
たとえば、癒やしを求める人へ、ただ優しく安心できるものを返すのではなく、かわいいのに不穏、優しいのに残酷、安心するのに少し怖い、といった矛盾を含む表現を置く。すると、受け手は「これは何だろう」と立ち止まり、自分の経験を使って意味を作り始めます。
その流れは、次のように捉えられます。
ずれ → 解釈 → 意味生成 → 関与
重要なのは、顧客を理解しないことではありません。ニーズを理解することと、その表面的な形へそのまま応じることを分けるのです。
ずらせばよいわけではない
意外性や曖昧さは、便利な成功法則ではありません。ずれが働く条件を外せば、単に分かりにくい、雑、不快、信用できないものになります。
少なくとも、次の場合には失敗しやすくなります。
- ずれが大きすぎる:受け手が手がかりを見つけられず、意味不明になります。
- 信頼がない:意図的な表現ではなく、説明不足や手抜きに見えます。
- 違和感が意味へ変わらない:考える余地ではなく、ただの不快感として残ります。
- 正確さと安心が中心価値である:医療、金融、安全、重要な教育説明などでは、ずれが不信や実害につながります。
この手法が成立しやすいのは、受け手が解釈へ時間を使う意思を持ち、読み違えても大きな損害がなく、試行を戻せる領域です。
つまり、創造的なずれを許せるのは、失敗の可逆性が高く、探索そのものに価値がある場合です。
意味が増える作品の例
具体例として、「ちいかわ」は、かわいらしさだけでなく、労働、資格、格差、不条理、生存、友情、ブラックユーモアなどを読み込める作品として受け取られています。
藤井風の音楽も、楽曲として楽しめる一方で、自由、自己受容、物質への執着から離れること、固定的な役割を手放すこと、自然体といった世界観へ結びつけて読まれています。
ここで述べているのは、作者の意図を確定することでも、作品に唯一の意味を与えることでもありません。一次的な魅力を持つ作品が、受け手の経験や社会的文脈と結びつき、複数の解釈を生む例として見るということです。
現代美術から見える意味の構造
この問題は、現代美術を考えると分かりやすくなります。
美術史を単純化した分析モデルとして見れば、表現は、現実を再現することから、様式化、色や形の抽象化、さらに「そもそも何が芸術なのか」を問う方向へ展開してきました。
アーサー・ダントーは、作品が芸術として成立するうえで、対象そのものだけでなく、理論、歴史、共有された解釈の場が重要であることを論じました。[1]
同じ形の物体でも、工業製品として置かれる場合と、美術の文脈へ移される場合では、意味が変わります。意味は物の内部だけに固定されているのではなく、物、作り手、受け手、制度、歴史の関係の中に現れます。
これは、商品やコンテンツにもそのまま当てはまる、という主張ではありません。ただ、作り手が対象そのものに加えて、対象が置かれる関係を考えるための手がかりになります。
誠実な本文を意外性が支える
読み手を驚かせるために、事実を誇張したり、根拠をねじ曲げたりする必要はありません。
むしろ、中心にある機能、品質、物語、論理を誠実に作ったうえで、導入や表現に少しの違和感を置く。その違和感が、受け手自身の経験を呼び込みます。
ニーズを裏切るのではなく、ニーズの奥にある、まだ本人も説明できない問いへ届く。
そのときクリエイティブは、要求への回答であるだけでなく、新しい見方を一緒に作る入口になります。
次回は、意味が共同で作られる時代に、企業が「意味の管理者」からどのような主体へ変わるのかを考えます。
この記事の要点
- 機能や品質だけでなく、自分なりに解釈し、語り、共有できることも価値になりえます。
- ニーズの理解と、ニーズへ直接そのまま応じることは区別できます。
- 深い文脈を理解したうえでの小さなずれは、解釈と意味生成を促す可能性があります。
- 曖昧さや意外性は万能ではなく、信頼、可逆性、解釈する意思が必要です。
- 正確さや安全が中心となる領域では、明確さを優先しなければなりません。
参考文献
1. Danto, A. C. (1964). “The Artworld.” The Journal of Philosophy, 61(19), 571–584. https://doi.org/10.2307/2022937