開放系と閉鎖系シリーズ|文化・意味世界・企業 第2回(全6回)
前の記事では、現実の問題を解く活動から文化が生まれ、やがて保存と伝承の仕組みを備えていく過程を見ました。この記事では、その仕組みが発達するなかで、なぜ手段が目的へ変わり、評価基準が内向きになっていくのかを考えます。この変化を理解することは、伝統文化だけでなく、組織や教育、資格制度が硬直する理由を考えるうえでも役立ちます。
文化や組織は、年月がたつだけで内向きになるわけではありません。活動を生み出した問題が解かれ、有効な方法が蓄積されるほど、新しい方法を探す必要が下がるという構造があります。
さらに、活動を生み出した外部のニーズそのものが弱くなることもあります。それでも文化や組織は残ります。すると、外部の問題を解くことより、体系を正しく維持することが中心課題になっていきます。
手段が目的へ変わるのは、参加者の意識だけでなく、活動を取り巻く問題と評価の構造が変わるためです。
問題が解けると、探索より習得が重要になる
文化が発達したということは、その文化を生み出した問題について、多くの有効な方法が見つかったということでもあります。
有効な方法がまだ分からない時期には、試すことが必要です。しかし、すでに実用的な方法が揃っていれば、次の世代に求められるのは、新しい方法をゼロから発明することより、既存の方法を正確に学ぶことです。
ここで活動の重心が、 探索から習得へ 移ります。
これは自然な変化です。毎回すべてを作り直していては、知識や技能を蓄積できません。ただし、習得する内容が増えるほど、体系に参加するために必要な履修も増えていきます。
本来のニーズが消えても、文化は残る
さらに大きな変化は、文化を生み出した外部のニーズそのものが弱くなることです。
武道なら、剣で命を賭けて戦う必要がなくなります。実戦という検証の場は日常から消えますが、技法、型、作法、教授体系、歴史は残ります。
このとき、文化は本来の機能によって日常的に検証されにくくなります。その代わりに、型を正しく行う、作法を守る、資格を取得する、系譜を継承するといった内部の課題が重要になります。
外部の問題を解く活動
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有効な方法の蓄積
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体系を学び、維持する活動
機能が文化を維持していた状態から、文化そのものを維持することが活動の目的になる状態への転換です。
参加者が入れ替わることで文化の向きも変わる
外部のニーズが弱まると、参加者の構成も変わります。
問題を解きたい人は、別の手段のほうが有効なら、そちらへ移ります。一方、その文化自体を好む人、伝統を残したい人、細部を研究したい人は内部に残ります。
その結果、誰かが「保守的な文化に変えよう」と決めなくても、共同体のなかで内部熟達を重視する人の比率が高くなることがあります。
文化の保守化は、規則の強化だけでなく、誰が残り、誰が離れるかという自己選択からも進みます。
もちろん必然ではありません。内部に残った人のなかから、外部への適用を試みる人も現れます。環境が大きく変われば、新しい目的をもつ人が入ってくることもあります。ここで述べているのは、外部からの働きかけがなければ、参加者構成が内部熟達を重視する方向へ偏りやすいという傾向です。
内部評価は階層を作りやすい
外部の成果が評価基準なら、新参者でも成果によって既存の序列を覆せます。
一方、文化内部への習熟が評価基準になると、修行年数、資格、系譜、知識量、儀礼の理解、人脈、共同体への貢献履歴が重要になります。これらの多くは時間の蓄積を必要とするため、古参者が有利になります。
文化の成熟 → 履修項目の増加 → 参入障壁の上昇
↓
内部評価の強化 ← 権威の固定 ← 階層化
極端になると、「現実に何ができるか」より「共同体のどこに位置するか」が重要になります。正統性や権威をめぐる対立が、本来の問題より大きくなることもあります。
ただし、参入障壁が上がりすぎれば、新しい参加者が減ります。共同体の縮小や存続危機は、文化に対する強い外部フィードバックになります。内部規範を見直す再生成は、こうした地点から始まる場合があります。
厳格な制度は、保存装置でもある
日本の伝統芸能では、制度化と階層化を比較的はっきり観察できます。
日本演劇史の研究では、家元制が能、狂言、日本舞踊、歌舞伎音楽などの訓練、レパートリー、上演に影響を与え、茶道、華道、武道などとも共通する組織原理をもつことが指摘されています [1] 。茶道の研究でも、家元制度、洗練された一連の動作、資格、教授体系を通して実践が再生産されてきた過程が扱われています [2] 。
ここで制度化を単純な劣化とみなすことはできません。厳格な仕組みがあったからこそ、社会が変わっても、高度な身体技法、知識、作法、美意識を長期間残せたとも考えられます。
厳格化は、文化保存の代償でもあります。
階層化のリスクと保存の機能は、同じ制度のなかに共存します。
科学や哲学にも内部評価はある
この構造は伝統文化だけに限りません。
科学は、観測、実験、批判、反証可能性を通じて現実から制約される点で、開かれたフィードバックを重視します。ポパーの反証可能性は、本シリーズのモデルから見れば、認識の体系を外部からの訂正へ開いておく考え方として読めます [3] 。ただし、このフィードバック論的な読み方は本シリーズによる解釈です。
一方、クーンが描いた通常科学では、研究者は共有された枠組みの内部で問題を解きます。反例が一つ出るたびに、基本理論を捨てるわけではありません [4] 。科学にも、外部の結果へ開く局面と、共有された内部モデルを精密化する局面があります。
哲学でも、現実や人間について考えることから始まった活動が、概念の定義、論証、文献理解、学派内部の問題設定を精密化する方向へ進みます。論理的な厳密さは重要ですが、それだけが訂正原理になれば、現実との接続が弱くなる可能性があります。
英語学習なら「実際に伝わるか」より、文法知識、単語量、教材の履修、試験結果が中心になる。趣味の文化なら、作品を楽しむことより、作品史、固有の語彙、過去の解釈を知っていることが参加条件になる。同じ変化は身近な活動にも起こります。
問うべきなのは、内部基準の有無ではない
内部基準があること自体は問題ではありません。高度な技術を教え、文化を長く保存するには、ある程度の標準、資格、序列、共通語彙が必要です。
確かめるべきなのは、内部基準が外部の問題とどのようにつながっているかです。
- 本来の目的は現在も存在しているか
- 内部で評価される能力は、外部でも意味をもつか
- 新しい参加者が別の見方を持ち込めるか
- 存続危機や失敗を、規範の見直しへつなげられるか
- 手段を守ることが、いつの間にか最終目的になっていないか
手段が目的に変わることを、参加者の怠慢だけで説明しても構造は変わりません。探索の必要が下がり、外部のニーズが弱まり、内部の履修と評価が増える。その変化を見たうえで、外部との接続を作り直す必要があります。
参考文献
1. Rath, Eric C. “Interlude: Iemoto, the Family Head System,” in Jonah Salz (ed.), A History of Japanese Theatre , Cambridge University Press (2016). 家元制度が能・狂言・日本舞踊・歌舞伎音楽などの訓練、レパートリー、上演を形成し、茶道・華道・武道とも共通する組織的特徴をもつことが論じられています。
Cambridge University Press: Iemoto — the family head system ↩
2. Surak, Kristin. “From Selling Tea to Selling Japaneseness: Symbolic Power and the Nationalization of Cultural Practices.” European Journal of Sociology , 2011. 茶道が家元制度という組織形態によって再生産され、洗練された所作、制度、文化的意味を形成してきた過程を分析しています。
Cambridge University Press: From Selling Tea to Selling Japaneseness ↩
3. ポパー(Karl Popper)の科学哲学では、科学理論が潜在的に反証されうることが、科学性を考えるうえで中心的な意味をもちます。本記事ではこれを「認識の体系を外部フィードバックへ開く」という観点から再解釈しています。この読み方自体は本シリーズの解釈です。
Stanford Encyclopedia of Philosophy: Karl Popper ↩
4. クーン(Thomas Kuhn)の通常科学論では、研究者は共有されたパラダイム、または専門分野の枠組みの内部でパズルを解き、単一の反例によってただちに枠組みを放棄するわけではありません。本記事ではこれを「科学にも内部モデルを精密化する閉鎖的な局面が存在する」と解釈しています。
Stanford Encyclopedia of Philosophy: Thomas Kuhn ↩