工学化と抽象化シリーズ|第1部「二重の工学化」第10回(全12回)
落ち着いた場では言えた意見が、緊張した会議では出てこない。よく眠れた日と眠れなかった日で、同じ資料から違う結論を出す。信頼している相手の前では試せることが、評価される場面では試せなくなる。
こうした差は、気持ちの問題として片づけられがちです。しかし、判断や学習の質が、その場の身体状態、安心感、相手との関係で変わるのだとすれば、それは意志の弱さではなく、人間の認識がもともと持っている性質かもしれません。
前回まで、学習は自分なりの予測を試し、結果とのずれを受け取り、修正する循環から起こると述べてきました。今回は、その循環を回す主体そのものを捉え直します。
人間は、身体を持ち、情動によって重要な情報を選び、限られた知覚と認知資源で世界を捉え、他者と文化の影響を受けながら、環境との相互作用の中で判断し、学ぶ存在である。
工学的な人間観は、この逆を想定してきました。環境から切り離され、自分の内側にある理性によって情報を検討し、判断し、行為する個人です。
主体性は、環境から独立して完結しない
ここで採る人間像は、理性を持たないという意味でも、自分で決められないという意味でもありません。ただし、その主体性は、環境から独立して完結する能力ではありません。身体状態、使える道具、他者との関係、共有された言葉や規範、置かれた状況によって、支えられたり狭められたりします。
この方向には、構成主義的情動理論、身体化・状況化された認知、予測にもとづく認知観、社会心理学など、複数の理論が接続します。構成主義的情動理論は、内受容感覚、予測、カテゴリー化などを統合して情動を説明します[1]。
これらは一つの統一理論ではなく、互いに競合する説明も含みます。それでも、人間を身体・情動・他者・文化・環境から独立した純粋な理性主体として捉えるだけでは不十分である、という方向では重なります。
脅かされている場では、予測を試しにくい
同じ人でも、安心している場面と脅かされている場面では、注意を向ける対象も、可能だと感じる行為も変わります。情動は理性を妨害するノイズであるだけでなく、何を重要とみなし、どの選択肢へ注意を向けるかを方向づけます。偶発的に生じた情動でさえ、危険と不確実性のもとでの意思決定へ異なる影響を及ぼすことが、実験研究のメタ分析で示されています[2]。
これは学習の循環と直接つながります。脅かされている場面では、人は自分なりの予測を試しにくくなります。 予想と違う結果になったときの代償が大きいと感じられるからです。探索が起きるかどうかは、意欲だけでなく、その場でどれだけ安全を感じられるかにも左右されます。
身体状態や安全感が認知へ及ぼす影響を扱う理論の中には、論争の渦中にあるものもあります。たとえばポリヴェーガル理論には、中核となる神経解剖学的・生理学的・進化的前提への批判があり[4]、提唱者側からの反論もあります[5]。個々の理論の当否は未決着です。
判断は、他者からも切り離せない
人間は他者から容易に切り離せる存在でもありません。アッシュ型の線分判断課題を用いた133研究・17か国のメタ分析では、明白に見える知覚判断であっても多数派への同調が生じ、その程度が時代や文化によって変わることが示されました[3]。
これは「人間は必ず集団へ従う」という意味ではありません。独立した判断と同調のどちらが現れるかが、集団との関係、文化、課題、反対意見を表明できる条件によって変わるということです。
理性は、世界を圧縮する働き
人間は、世界の情報をそのまま受け取り、すべてを比較してから判断しているわけではありません。感覚器官が受け取れる範囲には限界があり、受け取った情報のすべてが意識へ上るわけでもありません。注意は一部を選び、記憶は再構成され、既存のカテゴリーや期待が、何を見つけやすいかを変えます。理性が働き始める時点で、世界はすでに選択され、要約されています。
注意の限界を示す代表例が、シモンズとチャブリスの非注意性盲目の実験です。参加者が特定の課題へ注意を集中すると、視野の中で起きた目立つ出来事でさえ見落とす場合がありました[6]。これは感覚が常に誤るという話ではなく、見ること自体が、何へ注意を向け、何を課題としているかに依存することを示します。
判断でも同じことが起こります。トヴェルスキーとカーネマンは、不確実性のもとで、人が代表性、利用可能性、アンカリングと調整などのヒューリスティクスを使うことを示しました[7]。限られた手がかりで素早く判断する働きは多くの場面で有効ですが、条件によっては体系的で予測可能な誤りを生みます。
そこで理性を、世界をありのまま写し取る透明な装置ではなく、限られた時間・情報・処理能力のもとで、特徴を選択し、圧縮し、カテゴリー化し、予測と判断を可能にする働きとして捉えます。理性の限界は、理性が壊れているから生じるのではありません。有限な人間が、複雑すぎる世界の中で行為するための必然的な働きです。
ここで、このシリーズが組織について述べてきたことと一つにつながります。理性がやっていることは、個人の頭の中で行われる抽象化です。 現実から一部を選び、残りを捨てる。その圧縮があるから素早く判断できます。同時に、捨てた部分は現実の側に残り続けます。
必要なのは、圧縮を現実へ戻す回路
だとすれば、組織の指標に必要なものが、個人の認知にも必要になります。圧縮したモデルをもう一度現実と照らし合わせ、返ってきた反応によって修正する回路です。自分の予測を試し、結果とのずれを受け取る学習と同じ構造です。
理性の限界を深刻な問題にするのは、圧縮そのものではなく、この修正回路が閉じることです。自分の見立てに合わない出来事を例外として処理し続ければ、判断は現実から離れていきます。
ただし、ここから「人間の理性は常に歪み、信用できない」と結論するのも正確ではありません。ヒューリスティクスは判断を可能にする道具でもあり、非注意性盲目の実験は知覚一般が虚偽であることを示したものでもありません。またトヴェルスキーとカーネマンの研究が直接扱うのは、不確実性下の確率・頻度・数値判断です。見直すべきなのは理性そのものではなく、理性的主体が完全な情報を持ち、文脈・身体・情動・他者から独立して、中立的に最適解を選べるという強すぎる前提です。
測っているものが何なのかを取り違えない
能力についても、同じ言い直しができます。能力は個人の内部に固定的に存在するのではなく、個人 × 他者 × 道具 × 環境 × 課題という関係の中から現れます。能力が多数の要素の噛み合いとして立ち上がるなら、その要素には身体や知識だけでなく、相手、道具、課題の設定も含まれます。組み合わせが変われば、立ち上がる形も変わります。
この立場を採ると、測定値の意味にも注意が必要になります。能力が関係の中に現れるなら、個人を切り離して測った値は、その人の能力のすべてではなく、測定場面という特定の関係で現れた値です。採用、評価、配置も、この限界を含んだ測定にもとづいて行われています。
だからといって、測定をやめるべきだという話ではありません。測っているものが何なのかを取り違えない、という限定の問題です。
会議で意見が出ないとき、参加者の主体性を疑う前に、その場で自分の見通しを安心して試せるかを見ることができます。判断が鈍っていると感じるとき、自分の理性を責める前に、その見立てを実際の結果と照らし合わせ、修正できているかを確かめることができます。
次の記事では、この人間観を採ったときに、上達論、教育、人材育成、対人支援の実務が具体的にどう変わるのかを見ます。
この記事の要点
- 人間は、身体、情動、他者、文化、環境との関係の中で判断し、学びます。
- 情動は判断を乱すノイズであるだけでなく、何を重要とみなすかを方向づけます。
- 脅かされている場では予測を試しにくくなるため、探索は安全の問題でもあります。
- 理性は世界を写す装置ではなく、特徴を選び圧縮する働きとして捉えられます。
- 圧縮そのものではなく、現実へ戻して修正する回路が閉じることが問題になります。
- 個人を切り離して測った値は、測定場面という関係の中で現れた値です。
参考文献
1. Barrett, L. F. (2017). “The theory of constructed emotion: an active inference account of interoception and categorization.” Social Cognitive and Affective Neuroscience, 12(1), 1–23. https://doi.org/10.1093/scan/nsw154
2. Bartholomeyczik, K., Gusenbauer, M., & Treffers, T. (2022). “The influence of incidental emotions on decision-making under risk and uncertainty: a systematic review and meta-analysis of experimental evidence.” Cognition and Emotion, 36(6), 1054–1073. https://doi.org/10.1080/02699931.2022.2099349
3. Bond, R., & Smith, P. B. (1996). “Culture and Conformity: A Meta-Analysis of Studies Using Asch's Line Judgment Task.” Psychological Bulletin, 119(1), 111–137. https://doi.org/10.1037/0033-2909.119.1.111
4. Grossman, P. (2023). “Fundamental challenges and likely refutations of the five basic premises of the polyvagal theory.” Biological Psychology, 180, 108589. https://doi.org/10.1016/j.biopsycho.2023.108589
5. Porges, S. W. (2026). “When A Critique Becomes Untenable: A Scholarly Response To Grossman Et Al.'s Evaluation Of Polyvagal Theory.” Biological Psychology. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/41768026/
6. Simons, D. J., & Chabris, C. F. (1999). “Gorillas in Our Midst: Sustained Inattentional Blindness for Dynamic Events.” Perception, 28(9), 1059–1074. https://doi.org/10.1068/p281059
7. Tversky, A., & Kahneman, D. (1974). “Judgment under Uncertainty: Heuristics and Biases.” Science, 185(4157), 1124–1131. https://doi.org/10.1126/science.185.4157.1124