【工学化と抽象化 No.6】データで測るほど、個人差が消えていく

Aug 18, 2026

工学化と抽象化シリーズ|第1部「二重の工学化」第6回(全12回)

投稿する前に、どの言葉なら反応されるかを考える。仕事に取りかかる前に、何が評価項目へ入るかを考える。体調を感じる前に、睡眠時間や活動量の数字を確認する。

誰かから直接命令されているわけではありません。それでも、何が測られ、何が表示され、何が高く評価されるかを予想すると、行動は少しずつ変わります。

行動、関心、成果、評判、睡眠、運動、つながり。現代では、人間のさまざまな側面をデータとして記録できます。データが増えれば、一人ひとりを詳しく理解できるように思えます。

ところが、測定が精密になるほど、人間があらかじめ用意された分類や点数へ近づいていくことがあります。

データは個人差を見つけるだけではありません。何が評価されるかを示し、人の行動をその評価へ合わせていきます。

人間を測る制度と、測られる条件を予測して自分を調整する人間。その循環が、情報社会ではデータを介したより精密な形で回ります。

社会の管理と自己管理が循環する

二重の工学化には、社会・組織の側と、人間の側があります。

社会は、人と活動を計測、分類、標準化、制度化し、巨大で安定したシステムを作ります。その内部で、人間は能力、スキル、生産性、成果、行動、習慣、キャリア、メンタルなどへ分けられ、評価・改善の対象になります。

さらに本人が、その評価基準を使って自分を管理します。

工学化された社会 → 組織 → 労働 → 人間観 → 自己管理 → 管理システムへの適応

社会が人間を工学的に扱うだけではありません。人間が自分を同じ方法で扱うことで、その社会に適応し、管理の仕組みを再生産します。

データが行動条件として戻ってくる

情報社会では、この循環にデータが加わります。

経験・行為 → データ化 → 分類・採点 → 可視性・機会の配分 → 予期的な自己調整 → 新たな経験・行為

従来は数量化されていなかった関係や状態がデータへ変わり、分類、予測、配分に使われます。データ化と人の行為能力の関係については、データが人を一方的に支配するだけでなく、人がデータを解釈し利用する側面も含めて議論されています。[1]

市場では分類やスコアが、商品、価格、信用、機会の配分に使われます。[2] 分類と標準は特定の観点を価値づけ、別の観点を見えにくくします。[3]

プラットフォーム上では、何が表示されるか、見えなくなるかを予想すること自体が、投稿や行動へ影響します。アルゴリズムが作る「不可視性の脅威」が行動へ作用しうることも論じられています。[4]

ただし、この研究が扱ったのは特定の時期の特定のプラットフォームです。ここから、あらゆるアルゴリズムが同じ影響を持つと一般化することはできません。

重要なのは、人がただ測られるだけではない点です。何をすれば高く評価されるかを予想し、測定される前から自分を調整します。

自分を客観視することと主体性は違う

自分の行動を記録し、振り返ることには大きな価値があります。睡眠や仕事の記録から、自分では気づかなかった傾向を発見できる場合もあります。

しかし、自己観察が増えることと、主体性が高まることは同じではありません。

評価システムを先回りし、自分をうまく編集できても、何を目的とするか、どの状況を問題として捉えるか、結果を誰が引き受けるかを自分で決められなければ、それは高度な自己監視かもしれません。

個人差も、測定項目の中で表現できる違いだけになります。数値に現れない経験や関係は、本人にとって重要でも、制度からは見えません。

測定が細かくなるほど個人が見えるとは限りません。測定可能な個人像の解像度だけが高くなることがあります。

自己啓発は解放にも適応にもなる

自己啓発は、目標を持ち、習慣を変え、自分の人生に働きかける力を与えます。固定的な身分や運命論から人を解放する面があります。

一方、「人生の結果は自己管理の成果である」という考えが強くなりすぎると、労働環境、組織構造、経済状況、制度、偶然、人間関係から生じる問題まで、自分の改善不足として受け取りやすくなります。

成功すれば自分が努力したから。失敗すれば、自分の能力、習慣、感情管理が足りないから。こうして外部環境の工学化と、個人の自己管理が互いを強めます。

自己改善が悪いのではありません。環境を変えるべき問題まで、個人を改善する問題へ置き換えないことが重要です。

近代の失敗ではなく成功の過剰適用

工学的な世界観は、間違っていたから広がったのではありません。工業、土木、建築、交通、医療、行政、物流、通信、大量生産などで、巨大な生産力と調整能力を実現したから広がりました。

その成功によって、合理化、標準化、計測、管理、最適化こそ、あらゆる問題を解決する方法だという期待が強まります。

現代の問題は、近代合理主義の失敗というより、成功した方法の過剰適用として捉えたほうが正確です。

その方法が人間へ向けられたとき、個人が環境に適応できるかだけでなく、環境が人間の身体、感情、疲労、関係、遊び、休息、探索を受け入れられる構造かを問う必要があります。

精神的な不調には、遺伝、神経生物学、発達、家庭環境、社会関係、経済状況、身体疾患、睡眠、労働環境など多くの要因が関係します。ここで提案しているのは、その社会構造的な側面を考えるための仮説です。

記録された自分と、実際に経験している自分が一致しないと感じることがあります。数字の上では順調なのに疲れている。評価は高いのに、仕事を自分で動かしている感覚がない。

その違和感を、さらに正確に自分を測れていないせいだと考えれば、測定項目は増えていきます。しかし、問題はデータの不足ではなく、データへ変換できない経験が判断から外れていることかもしれません。

必要なのは、データを捨てることではありません。データによって見える自分と、身体、感情、関係の中で経験している自分を往復し、測定の基準そのものを修正できることです。

次の記事では、管理された組織の中で、人が認識し、判断し、行動し、結果から学ぶ循環が、どのように分割されるのかを見ます。データに合わせて自分を動かすだけでは、なぜ能力が育ちにくいのかという問題です。

この記事の要点

  • 社会の評価基準を個人が内面化することで、二方向の工学化が循環します。
  • 情報社会では、行動データが分類と配分に使われ、その結果が再び行動条件になります。
  • 自己観察が増えることと、自分で目的を決められることは同じではありません。
  • 自己改善は人を解放する一方、環境の問題を個人の不足へ変える場合があります。
  • 現代の問題は、工学的な方法の失敗ではなく、成功した方法の過剰適用として捉えられます。

参考文献

  1. Kennedy, H., Poell, T., & van Dijck, J. (2015). “Data and agency.” Big Data & Society, 2(2). https://doi.org/10.1177/2053951715621569

  2. Fourcade, M., & Healy, K. (2017). “Seeing like a market.” Socio-Economic Review, 15(1), 9–29. https://doi.org/10.1093/ser/mww033

  3. Bowker, G. C., & Star, S. L. (1999). Sorting Things Out: Classification and Its Consequences. MIT Press. https://mitpress.mit.edu/9780262024617/sorting-things-out/

  4. Bucher, T. (2012). “Want to be on the top? Algorithmic power and the threat of invisibility on Facebook.” New Media & Society, 14(7), 1164–1180. https://doi.org/10.1177/1461444812440159

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