工学化と抽象化シリーズ|第1部「二重の工学化」第3回(全12回)
会議で何かを提案すると、「それは数字で示せますか」と尋ねられることがあります。
顧客との微妙な関係を保つ。問題が大きくなる前に気づく。周囲が動きやすいように支える。こうした働きは、たしかに存在していても、売上や処理件数のようには数えにくいものです。
一方、組織は数字なしには動けません。大人数の仕事を比べ、資源を配分し、問題を発見するには、複雑な現実を共通の項目へ置き換える必要があります。
では、問題はどこにあるのでしょうか。
数字が現実を単純化することではありません。単純化された数字を、現実そのものだと思い始めることです。
会社から見れば、私たちは社員番号、所属、職位、保有スキル、評価点、売上、労働時間として現れます。行政から見れば、年齢、住所、所得、世帯、資格などの項目になります。
人間そのものが数字になったわけではありません。複雑な現実の一部を選び、組織が扱える形へ置き換えているのです。その選択から外れた経験、文脈、関係、暗黙知は、管理する側から見えにくくなります。
人間を管理できる形に変えることは、単なる記録ではありません。何を重要とみなし、何を存在しないものとして扱うかを決めることでもあります。
今回は、人間と現実を管理できる形へ変える「抽象化」が、何を可能にし、同時に何を見えなくするのかを考えます。
抽象化は現実を圧縮する
抽象化とは、個別具体的な現実から一部の特徴を選び、残りを捨てる圧縮です。
地図は、現実の土地から道、境界、建物などを選びます。人事評価は、日々の仕事から、あらかじめ定めた能力や成果を選びます。圧縮しなければ、比較も共有もできません。
この圧縮は、何のために行うかによって大きく二つに分けられます。
一つは、現実を計測、比較、管理、設計できるようにする操作的抽象化です。人や行為を、カテゴリー、数値、指標、規則、モデルへ変換します。
もう一つは、経験を意味、物語、象徴、解釈として理解し、他者と共有する解釈的抽象化です。作品について考察したり、自分の経験を物語として捉えたりする働きが入ります。
同じ言葉や評価でも、管理と予測に使えば操作的抽象化になり、理解や共有に使えば解釈的抽象化になります。本シリーズがまず扱うのは、前者です。
分類は記述であると同時に介入である
分類や標準は、すでに存在する現実を中立的に写すだけではありません。
何を「能力」と呼ぶか。どの成果を評価するか。誰を同じカテゴリーへ入れるか。それによって、評価される行動、与えられる機会、見える問題が変わります。
ボウカーとスターが論じたように、分類と標準は情報インフラの足場となる一方、特定の観点を価値づけ、別の観点を見えにくくし、現実の利益と不利益を生みます。[1]
たとえば、チームの雰囲気を整え、問題を早期に察知し、他者の仕事を支えている人がいても、その働きが評価項目に入っていなければ、組織の記録上は存在しないのと近い扱いになります。
操作的抽象化は必要です。しかし、モデルから消えたものを現実からも消えたものとして扱わないためには、現場へ戻り、分類や指標を修正する回路が要ります。
仕事をする人より最適な作業を重視する
操作的抽象化が労働へ適用された象徴的な例が、20世紀初頭の科学的管理法、いわゆるテイラー主義です。
仕事を細かな動作へ分け、時間を測り、無駄を除き、最適な動作を決め、手順を標準化する。計画と設計は管理者が担い、労働者は決められた方法を実行します。
テイラーの1911年の原著も、経験則に委ねられていた作業を管理側が科学的に分析し、方法を選び、教育し、計画と実行の分担を組み替える構想を示しています。[2]
この方法は工場労働で大きな成果を上げました。同時に、仕事をする人の経験や暗黙知より、管理者が設計した最適な作業システムを優先する見方を強めます。
すると人間は、状況を読み判断する主体ではなく、特定の機能を担う交換可能な構成要素として見えやすくなります。
ただし、後世のテイラー主義、大量生産方式、人事管理のすべてを、テイラー本人の思想と同一視することはできません。ここで重要なのは、一つの歴史的起源を決めることではなく、作業と人間を分解・測定・設計する原理です。
二重の工学化
ここまでの工学化は、対象によって二方向に整理できます。
第一は、社会、組織、工程、市場、行政、インフラなど、人間の外側の環境を、分類、計測、標準化、制度化、管理する方向です。
国家や大規模組織は、複雑で局所的な現実を、そのままでは把握できません。そこで人口、土地、森林、生産、労働などを、地図、台帳、分類、統計、指標へ変え、上位から比較・介入できる形にします。ジェームズ・C・スコットが論じた「可読化」は、この過程に近いものです。[3]
これを第一の工学化と呼びます。
第二は、人間の能力、行動、身体、感情、成果を、測定、訓練、配置、評価、改善する方向です。これを第二の工学化と呼びます。
第二の工学化は、さらに二つに分かれます。
- 組織や管理者が外から人間を測る
- 個人が同じ基準を使って自分自身を測る
この違いは重要です。外から与えられた評価基準は、交渉や拒否の対象になりえます。しかし、その基準を自分の目標として受け入れれば、達成できないことは制度ではなく自分の問題に見えてきます。
社会が人間を測り、人間がその基準で自分を測り、その自己評価が再び管理システムを支える。
本シリーズが「二重の工学化」と呼ぶのは、この循環です。
もし、自分の仕事で大切にしているものが評価表に入っていないと感じるなら、それは単に「価値を数字で説明できない自分」の問題とは限りません。組織が使っているモデルの中に、その価値を捉える項目がない可能性もあります。
だからといって、数字を捨てることはできません。必要なのは、数字にならなかった現実へ戻り、分類や指標を修正できることです。何を測るかを決める力と、測った結果から制度を変える力が、管理側だけに集まっていないかを問う必要があります。
そして、もう一つ難しい問題があります。組織が作った評価基準を、私たち自身が受け入れ、自分の価値を測るために使い始めたらどうなるでしょうか。
次の記事では、管理が外からの命令ではなく、自分を成長・改善・最適化しようとする内側の声へ変わる過程を扱います。
この記事の要点
- 抽象化は、現実の一部を選び、残りを捨てる圧縮です。
- 操作的抽象化は、現実を比較・管理・設計できる表現へ変えます。
- 分類と指標は中立的な記録ではなく、何を価値として扱うかに影響します。
- テイラー主義は、労働者の経験より管理側が設計した作業システムを重視しました。
- 外部環境と人間の扱いを工学化する二方向が、自己管理を介して循環します。
参考文献
1. Bowker, G. C., & Star, S. L. (1999). Sorting Things Out: Classification and Its Consequences. MIT Press. https://mitpress.mit.edu/9780262024617/sorting-things-out/
2. Taylor, F. W. (1911). The Principles of Scientific Management. https://www.gutenberg.org/ebooks/6435
3. Scott, J. C. (1998). Seeing Like a State: How Certain Schemes to Improve the Human Condition Have Failed. Yale University Press. https://yalebooks.yale.edu/book/9780300078152/seeing-like-a-state/