工学化と抽象化シリーズ|第2部「行為空間の設計」第1回(全6回)
組織図を描き直し、役割を定義し、業務フローを整える。設計としては筋が通っているのに、実際にはうまく動かない。制度を変えたのに、現場の動き方が前と変わらない。
橋であれば、設計図どおりに作れば設計どおりに立ちます。工場の生産ラインも、条件が安定していれば計画どおりに動きます。しかし、人の集まりに同じやり方を当てると、思ったとおりにならないことがあります。
優れた全体は、必ずしも優れた設計者によってトップダウンで作られるわけではありません。
このシリーズの第1部では、人は探索し、試し、結果を受け取り、修正する循環によって学び、能力は人・他者・道具・環境・課題の関係から現れる、という人間観を示しました。第2部では、その循環を守る組織と社会の形を考えます。
秩序には、設計されたものと形成されたものがある
人間社会の多くの秩序は、生態系のような相互作用から形づくられてきました。言語、慣習、文化、市場、地域共同体、実践知。これらは、全体を見渡す設計者が一度に作ったというより、多数の人々の行為が長い時間をかけて調整され、変化した結果です。
その意味で、生態系モデルは新しく発明する理想像ではありません。社会がもともと持っていた形成過程を捉え直すモデルです。
近代化は、この自生的な形成過程の上に、機械、工場、官僚制、標準規格、統計、科学的管理といった設計された仕組みを広げました。これらは、大規模な生産、反復可能な品質、安全、予測、広域の調整を可能にしました。同時に、現場でしか分からない知識を失わせ、人間を交換可能な機能として扱い、多様な試行と創発を狭める場合もありました。
問題になるのは、社会を機械として捉え、その構成要素を設計・配置・管理すれば全体を最適化できるとみなす見方です。この見方に立つと、伝統的な場は非効率で保守的なものと評価され、より効率的な技術や企業組織へ置き換えるべき対象とみなされやすくなります。
二つのモデルを並べる
20世紀後半以降、複雑系科学、サイバネティクス、システム論、ネットワーク科学、自己組織化論、進化論的アプローチ、行動経済学、認知科学、生態学的アプローチなどを通して、工学モデルだけでは説明しにくい現象が研究されるようになりました。創発、自己組織化、適応、フィードバック、非線形性、多様性、レジリエンスといった概念です。
そこでは、多数の主体が局所的に相互作用することで、全体として新しい秩序が形成されると捉えます。生態系、市場、脳、社会、インターネット、文化、企業を、多数の主体が相互作用しながら変化するネットワークとして理解します。
二つのモデルを並べると、次のようになります。
| 工学モデル | 生態系・複雑系モデル |
|---|---|
| 設計 | 発生・進化 |
| 管理 | 自己組織化 |
| 制御 | 適応 |
| 標準化 | 多様性 |
| 再現性 | 創発 |
| 予測 | 探索 |
| マニュアル | 暗黙知 |
| 中央集権・一元管理 | 分散・多中心的ネットワーク |
| 最適化 | 適応可能性 |
| 固定された役割 | 可変的な関係 |
| 人材 | 主体・生物 |
| 組織=機械 | 組織=生態系 |
右側の見方では、未来を正確に予測して最適なシステムを設計することより、予測できない変化が起きても適応できるシステムを作ることが重要になります。
右側がいつも優れているわけではない
ここで注意が必要です。右側が常に正しいということではありません。
橋を建設する場合、創発に任せるわけにはいきません。飛行機の整備も、自由な自己組織化より厳密な標準化が重要になります。逆に、新規事業、研究、芸術、教育、組織文化、人間関係、イノベーションでは、すべてを事前設計しようとすることが逆効果になります。
したがって、工学モデルを捨てて生態系モデルへ一方向に移行する進歩の物語として読むべきではありません。同時に、近代以前の共同体や慣習へ戻ればよいという回帰論でもありません。自生的秩序には、身分制、排除、慣習の固定化、地域間の不均衡もありました。近代社会の人口、技術、相互依存の規模を、前近代の制度だけで処理することもできません。
必要なのは、工学モデルがもたらした安全性、共通基盤、予測可能性、広域調整を保持しながら、自生的な秩序形成に含まれていた局所知、相互調整、多様性、試行錯誤を、これからの制度へ再統合することです。
問題は工学的管理そのものではなく、それが適さない領域にまで工学モデルを一般化してしまうことにあります。
これは「中央集権は悪く、分散は善である」という価値判断でもありません。安全、権利、巨大な外部性、不可逆な損害を扱う領域では、共通ルールと上位レベルの介入が必要です。局所知、探索、多様性、可逆的な試行が重要な領域では、現場に判断を置く必要があります。
問いは「どちらか」ではなく「どこへ置くか」
第1部から得られた一つの結論は、標準化それ自体が学習を止めるのではなく、標準を誰が改訂できるかが重要だということです。改訂権が現場にあれば標準は学習の足場になり、管理側に独占されれば天井になります。
この結論は、もっと一般的な問題の一例です。
どの決定を、どの階層に置くのか。
標準の改訂権だけではありません。予算、採用、価格、手順、目標、評価基準、安全基準。あらゆる決定について同じ問いが立ちます。そして、すべてを現場へ置けばよいわけでもありません。
第2部の問いは、次の形になります。人が伸びる循環を守りながら、同時に全体が壊れないようにするには、何をどこへ置けばよいのか。
結論を先に言えば、中央は個々の行動を細部まで決めるのではなく、行為空間を形づくるという考え方です。組織を作り直すとき、まず組織図を引く代わりに、どの判断が現場にあり、どの判断が上位にあるのかを一覧にしてみる。それだけでも、いま何が設計され、何が現場での形成に委ねられているのかが見えてきます。
次の記事では、この二つのモデルをどの領域にどう配分するのか、そしてAIの普及がこの配分に何をもたらすのかを見ます。
この記事の要点
- 社会の秩序には、設計されたものと、相互作用から形成されたものがあります。
- 工学モデルは安全性、再現性、広域調整を可能にし、同時に局所知と多様な試行を狭める場合があります。
- 生態系モデルが常に優れているわけではなく、橋や航空整備では標準化が重要になります。
- 問題は工学的管理そのものではなく、適さない領域へ一般化することです。
- 第2部の問いは、どの決定をどの階層へ置くかという配置の問題です。