工学化と抽象化シリーズ|単独テーマ記事「人間観と学習」
ある職場では「能力が低い」と評価された人が、別の職場では驚くほど力を発揮する。ある相手とは言葉が出てこない人が、別の相手とは次々にアイデアを生み出す。
こうした出来事を、私たちは「相性がよかった」「環境に恵まれた」「本人の本気が出た」と説明します。けれども、それは能力の本体が個人の中にあり、環境は発揮を助けたり邪魔したりするだけだという前提に立った説明です。
もし、能力そのものが関係の中から現れるのだとしたら、見方は大きく変わります。
能力とは、個人が持ち運ぶ固定的な資産ではなく、個人、他者、道具、環境、課題が噛み合ったときに現れる働きではないか。
この問いは、採用、評価、配置、教育、子育ての出発点を変えます。
能力を個人の内部に置く見方
組織では、個人A、個人B、個人Cが存在し、それぞれが異なる能力を持っていると考えます。その能力を試験や面接、実績、評価指標で測り、採用し、育成し、適切な場所へ配置します。
この考え方には大きな利点があります。役割と責任を明確にでき、複数の人を比較し、限られた機会を配分できます。専門的な知識や技能の有無を確かめなければならない仕事もあります。
しかし、この見方を人間の全体像にすると、ある場所で現れなかった能力を、その人自身の不足として処理しやすくなります。
- 判断が遅い
- 主体性がない
- 発想力がない
- コミュニケーション能力が低い
- 応用ができない
こうした評価は、本人について何かを示しています。同時に、その評価が現れた特定の関係についても示しています。
厳しく監視され、失敗すると評価が下がり、必要な情報を持てず、使いにくい道具を与えられ、目的を理解できない状況で「主体性がない」と評価されたなら、その評価を個人だけの属性とみなしてよいのでしょうか。
関係の中に現れる能力
生態学的・関係論的な見方では、能力を次の関係から現れるものと考えます。
個人 × 他者 × 道具 × 環境 × 課題
この式は、能力を本人の外側へ押しつけるためのものではありません。本人の知識、技能、経験、身体状態も重要な要素です。ただし、それだけを切り出して能力の全体と呼ばないということです。
同じ人でも、組み合わせが変われば現れる働きが変わります。
- 安心して意見を言える相手か、否定を予想する相手か
- 使い慣れた道具か、操作に注意を奪われる道具か
- 目的と結果が分かる課題か、指示された部分だけを行う課題か
- 試行錯誤できる環境か、最初の失敗で評価が決まる環境か
- 本人の経験が使える状況か、経験から切り離された状況か
能力は、これらの条件と無関係に、同じ強さで現れるとは限りません。
この見方では、「ある人ができた」という出来事も、その人だけの成果ではなくなります。適切な相手、道具、情報、課題、時間、場が噛み合った結果として読みます。反対に「できなかった」という出来事も、本人だけの失敗とは限りません。
測定しているのは人そのものではない
能力が関係の中に現れるなら、試験や面接で得られた値は、個人の純粋な能力そのものではありません。
その人が、特定の課題、時間制限、評価者、道具、説明、緊張状態のもとで示した値です。
これは、測定には意味がないという話ではありません。共通の条件で比べることで見える違いはあります。最低限必要な技能を確認したり、同じ課題に対する現在の反応を比較したりできます。
問題は、そこで得た値の意味を広げすぎることです。
一度の面接で話せなかった人を「コミュニケーション能力が低い」と決める。特定形式の試験で点が低かった人を「理解力がない」とみなす。ある上司のもとで成果が出ない人を「仕事ができない」と評価する。
測定場面で得た値を、その人がどの場所でも持ち運ぶ固定属性に変えると、測定時に存在した関係や条件が消えます。
必要なのは、測定をやめることではなく、何を、どの条件で測った値なのかを限定して読むことです。
人を変える前に条件を調べる
個人属性モデルでは、能力が足りなければ本人へ介入します。研修を増やす、指示を細かくする、動機づける、配置を変える、別の人を採用する。
関係モデルでは、その前に能力が現れる条件を調べます。
他者
誰と組むと考えやすいか。質問、反論、提案ができる関係か。相手の知識や反応が、本人の注意と判断をどう変えているか。
道具と情報
必要な情報へアクセスできるか。道具が行為を助けているか、それとも操作の負担を増やしているか。現実からの結果が本人へ返っているか。
環境
失敗が直ちに人格評価へ結びつかないか。集中できる時間と場所があるか。裁量と責任が対応しているか。
課題
課題の目的を理解できるか。難しさが高すぎたり低すぎたりしないか。本人の経験を使える余地があるか。成果までの全体を見られるか。
この検討によって、本人へ「もっと頑張れ」と要求する以外の選択肢が生まれます。
採用と配置は人と場の組み合わせを見る
採用では、「最も能力の高い人」を探そうとします。しかし、評価しているのが特定条件で現れた能力なら、問うべきなのは順位だけではありません。
自分たちの組織では、どのような相互作用が起きるのか。既存のメンバー、仕事の進め方、道具、裁量、顧客、評価方法と組み合わさったとき、何が現れそうかを見ます。
これは、曖昧な相性だけで採用するという意味ではありません。職務に必要な知識や技能を確認したうえで、それが実際の環境でどう使われるかを見るということです。
配置でも、成果が出ない人を別の場所へ動かすだけでなく、相手、役割、情報、課題の切り方を変えられます。同じ部署の中でも、組み合わせの変更によって異なる能力が現れる可能性があります。
教育では「できない子」の意味が変わる
教育や子育てでも、「できない」という観察は必要です。いま何が難しいのかを知らなければ、支援できません。
ただし、「この課題を、この条件ではできない」と、「この子には能力がない」は別の判断です。
説明の仕方、使う道具、課題の大きさ、一緒に取り組む相手、身体状態、安心して試せるかどうかが変われば、同じ人から別の反応が現れることがあります。
そこで見る対象は、本人の不足だけではありません。
- 予測を持てるだけの材料があるか
- 自分で試す番があるか
- 結果の違いを本人が感じ取れるか
- 外れたあとに修正できるか
- 課題が現在の学習段階に合っているか
条件を変えても難しさが続くなら、本人が必要とする支援をさらに検討できます。関係を見ることは、個人差や困難を否定することではありません。最初から個人だけを原因にしないことです。
関係モデルにも限界がある
能力を関係から捉える考え方にも、注意が必要です。
第一に、本人の知識や技能、努力、選択、責任が消えるわけではありません。環境を理由に、すべての行為を免責することはできません。
第二に、環境を変えれば誰もがあらゆる能力を発揮できる、という意味でもありません。個人差は存在し、職務によっては明確な基準が必要です。
第三に、能力が現れる条件を組織側が細かく分析し、最適な組み合わせを上から設計し尽くそうとすれば、別の管理主義へ戻ります。本人が条件の調整へ参加し、自分の経験から組み合わせを変えられることが重要です。
関係モデルは、「本人には問題がない」と結論するためではなく、検討の単位を広げるためのものです。
能力の見方が組織を変える
個人属性モデルでは、組織の仕事は、優秀な人材を採用し、足りない能力を育成し、正しく配置することです。
関係モデルでは、仕事が次のように変わります。
人・人・道具・環境・課題の組み合わせから、能力が現れる条件をつくる。
人を選ぶことから、関係を組み替えることへ。能力を注入することから、本人が試し、結果を受け取り、学べる循環を開くことへ。固定した評価を下すことから、条件が変わったときに何が現れるかを確かめることへ。
「この人には能力があるか」という問いだけでは、人間と場のあいだで起きていることを捉えきれません。
この人は、誰と、何を使い、どのような環境で、どんな課題に向き合うとき、どのような力を現すのか。
そう問い直すことで、個人の可能性を過大評価することも、現在の評価だけで閉じることも避けやすくなります。
この記事の要点
- 能力を個人の内部にある固定的な資産として見ると、関係や環境の影響が見えにくくなります。
- 生態学的な見方では、能力を「個人 × 他者 × 道具 × 環境 × 課題」から現れる働きとして捉えます。
- 試験や評価の値は、特定の測定条件で現れた値であり、人の全体を示すものではありません。
- 本人を変えたり入れ替えたりする前に、相手、道具、情報、環境、課題を組み替えられます。
- 関係を見ることは、個人差や責任を否定することではなく、検討の単位を広げることです。