開放系と閉鎖系シリーズ|技術・上達・生成能力 第3回(全5回)
ここまで、上達を探索と精密化の往復として見てきました。この記事では焦点を一つの技から「能力」そのものへ移します。目に見える成果だけで人を評価せず、条件が変わっても解を作れる力を見ることは、技能指導だけでなく、教育や仕事を考えるうえでも重要です。
能力は、体内に保存された完成品ではありません。蓄積した材料を使い、その場の条件に応じた解を構成できるシステムの性質として考えます。
能力は、完成した出力ではなく、状況に応じた解を構成できるシステムの性質です。
技術論から能力論へ
これまでの議論では、上達を探索と精密化の往復として捉え、熟練するとその往復が一回の行為の内部でも起こることを見ました。 あわせて、自動化されるのが出力ではなく組み立てであることを確認しました。
ここまでの構造は、武道やスポーツだけの特殊な理論ではない可能性があります。外国語、仕事、研究、文章の執筆、教育などでも同じ構造を見ることができます。
従来の能力観では、次のように能力が形成されると考えられやすいものでした。
知識を覚える → 手順を覚える → 反復する → 自動化する → 必要時に呼び出す
つまり 能力=内部につくられた固定的なシステム というモデルです。しかし実際の能力の発揮は、もっと構成的です。
外国語習得
外国語で実際に会話するとき、人間は単語・文法・定型文を単純に倉庫から取り出して並べているだけではありません。
その瞬間の、相手の発話、文脈、自分の語彙、文法の知識、相手との関係、身振り、予測、それまでの会話などが相互作用して発話が生成されます。
したがって、
単語や文法は形成されるが、発話は構成される
と考えられます。
第二言語の研究にも、 複雑動的システム理論 (Complex Dynamic Systems Theory)という系譜があります。言語の発達を、多数の相互に依存した変数が時間とともに変化し、個人内・個人間の変動やアトラクター状態を示す動的な過程として捉えます [1] 。近年のスコーピングレビューでは、この枠組みを用いた158件の研究が検討され、第二言語の発達における動的・非線形な変化を捉える独立した研究領域が形成されていることが確認されています [2] 。
したがって、外国語について感じられる「暗記したものを再生するだけでは実際には話せない」という経験は、少なくとも動的システム系の第二言語研究と理論的に整合します。
仕事能力
仕事も同じように考えられます。
たとえばライターなら、語彙、構成の技術、専門知識、読者の理解、取材や資料の読解、過去の執筆経験、類比、問題設定などのリソースをもっています。しかし、記事そのものを固定的に保存しているわけではありません。「今回は誰に何を説明するのか」という課題に応じ、それらを毎回、再編成します。
同様に、研究者なら「どの理論と証拠を組み合わせるか」、経営者なら「現在の市場環境と自社の資源をどう結びつけるか」、教師なら「この学習者には何を教え、何を自力で探索させるか」をその場で構成します。
組織・専門職の研究では、二つの熟達を区別する議論があります。一つは、既存の技術知識を効率的に適用する 定型的な熟達 (routine expertise)です。もう一つは、不慣れで変化する問題に対して知識を再構成する 適応的な熟達 (adaptive expertise)です。動的な領域ほど後者の重要性が高くなります [3] 。
したがって仕事能力への拡張は、この記事独自の仮説を含むものではありますが、適応的な熟達の研究とかなり近いものです。
「形成」か「構成」かではない
ここで最も重要な修正を加える必要があります。
この理論を、 能力は形成されない。すべてその場で生じる。 と主張するのは極端です。
経験によって明らかに、筋力、柔軟性、知覚能力、語彙、概念、記憶、判断の基準、注意の向け方、運動協調、習慣などが形成・変化します。
動的システム論でも、過去の経験が現在のアトラクター地形を変化させ、特定の行動を生じやすくするという考え方をとります。発達の過程では、個々の構成要素の発達と、それらの自己組織化によって、新しい安定した行動が現れると説明されます [4] 。
したがって重要なのは、 形成か構成か という二者択一ではなく、
形成されたものを材料として、能力がその場で構成される
という階層化です。
何が内部に形成されるのか
この記事では、内部に形成されるものを大きく リソースと安定傾向 として捉えます。
| 内容 | |
|---|---|
| リソース | 身体能力、知識、語彙、記憶、技術要素、知覚能力、経験、概念、問題解決の方法 |
| 安定傾向 | 特定の身体協調、注意の向け方、判断の癖、知覚―行為結合、問題に対する典型的な解法、アトラクターとしての安定した行動パターン |
これらは形成されます。しかし、 現実の課題における「能力発揮」そのもの は、これらと現在の環境・課題との相互作用から構成されます。
これはこれまでの議論で内部モデルの定義そのものです。 内部モデルとは、その場の状況に応じて解を構成するために使われる材料でした。 この節のリソースと安定傾向が、身体技能の水準におけるその材料にあたります。 これまでの議論で概念や意味ブロックは、上の表でいえばリソースの側に含まれます。
したがって、
能力そのものを完成品として形成するのではなく、能力を構成するためのリソースと、よりよい構成が生じやすい傾向を形成する
と考えられます。
能力の一般定義
ここまでから、能力を次のように仮に定義できます。
能力とは、内部に保存された完成されたプログラムではなく、蓄積された身体的・知覚的・認知的・経験的リソースを、環境や課題との関係のなかで機能的に編成し、適切な解を生成できるシステムの性質である。
したがって、 能力をもつ とは、単純に大量の回答を記憶していることではありません。 答えをつくることができる ことです。
教師の役割の転換
ここまでの議論では、能力を「蓄積されたリソースを環境や課題との関係のなかで編成し、適切な解を生成できるシステムの性質」と定義しました。 この定義を採ると、教える側の役割も変わります。
| 教師の役割 | |
|---|---|
| 従来 | 正しい知識・技術を学習者の内部へ形成する人 |
| この記事 | 学習者自身から望ましい自己組織化が生じるよう、環境・課題・制約・情報・フィードバックを設計する人 |
エコロジカル・ダイナミクスには、コーチやスポーツ科学者を 練習環境の設計者 (sport ecology designer)として捉える議論があります。豊かで変化のある練習環境のなかで、安定した知覚―行為の関係を形成しながら、自己調整の能力を発達させるという考え方です [5] 。
また 代表性のある練習設計 (representative learning design)では、実践の場面で利用される情報と行為の関係を、練習の環境にもできるだけ保持することが重視されます [6] 。
これは、「正解の形を繰り返させる」から、 「実際に解かなければならない問題を適切な形で経験させる」 への転換です。
しかし教師は不要にならない
ここでも自己組織化を放任主義と混同してはいけません。学習者に何も与えず自由にさせれば、必ずすぐれた解へ到達するわけではありません。
教師は、課題、型、ルール、フィードバック、模範、知識、環境を操作して探索の空間を設計します。
したがって教育の中心の問題は、
何を中央から保証し、何を学習者の自己組織化へ委ねるか
になります。
これは文化論のこれまでの議論では、文化について立てた問いとまったく同じ形です。 そこでは「何を固定し、何を開くのか。何を中央的に保証し、何を分散的な自己組織化へ委ねるのか」と述べました。 技能の指導と制度の設計は、この点で同じ問題を扱っています。
従来型の上達論を否定するのではなく再配置する
ここまでで、技・上達・能力の三つを再定義し、教える側の役割まで見てきました。 最後に、これらが従来型の上達論とどういう関係にあるのかを整理します。
この記事の目的は、従来型の上達論をすべて捨てることではありません。むしろ、反復、正しい形、精密化、安定化、自動化の意味を、自己組織化のモデルの内部に再配置することです。
| 反復の目的 | |
|---|---|
| 従来 | 正しい技を形成するために反復する |
| この記事 | よりよい解が自己組織化されやすい身体・知覚・認知システムを形成するために反復する |
つまり、 何かが形成される という洞察は維持します。しかし、 形成されるもの=完成した技そのもの とは考えません。
形成されるのは、リソース、協調関係、アトラクター、知覚―行為の関係、問題解決の傾向などです。それらから、実際の技はその都度、構成されます。
「工学的人間観」から「生態学的人間観」へ
ここには、技能論を超えた転換を見ることができます。
これまでの議論で従来型のモデルは、単なる技能論ではありません。人間そのものをどう捉えるかという見方の現れです。 この記事ではこれを 工学的人間観 と呼びます。
工学的人間観とは、人間の能力を独立した要素へ分解し、正しい手順で順に組み上げれば望ましい出力が得られる、と考える見方である。
姿勢、軌道、筋活動、タイミングを一つずつ組み上げ、完成した技をつくる。 これは機械を設計する手つきと同じです。
そしてこの見方は、技能の指導だけに現れるものではありません。 教育、人材の育成、組織の管理にも同じ形で現れます。これまでの議論で「正しい知識・技術を学習者の内部へ形成する人」という教師像も、その一つです。
| 人間観 | 近いたとえ | |
|---|---|---|
| 工学的人間観 | 人間の内部に、能力を部品として組み上げる | 建築、機械、プログラム |
| 生態学的人間観 | 人間―環境システムが、利用可能なリソースから必要な秩序をその都度、生成する | 生態系、動的システム、流体、即興演奏 |
ただし後者は「構造が存在しない」という意味ではありません。 過去の経験によってシステムの構造そのものが変化し、それによって将来ある種の行動が生まれやすくなります。
したがって、
構造は存在するが、行為を完全に事前決定する完成プログラムではない。
という中間的な人間観になります。
工学そのものへの批判ではない
誤解を避けるために断っておきます。 ここでいう工学的人間観は、工学という学問への評価ではありません。
機械や装置に対しては、分解して設計し、管理するという手法は不可欠です。これまでの議論では、装置が実際に作動するかどうかは、体系の内部で正しいと宣言するだけでは変えられません。 工学はきわめて強い外部フィードバックのもとにある営みです。
問題は、その手法を人間の学習と成長へそのまま持ち込むことにあります。 装置は経験から自分の構造を組み替えませんが、人間は組み替えます。これまでの議論で区別が、ここにも当てはまります。 自動車はシステムですが内部モデルではありません。人間は内部モデルをもちます。
本理論の中心モデル
全体を圧縮すると、次の三段階になります。
第一段階:技術論
| 技とは | |
|---|---|
| 従来 | 反復によって内部に固定された運動 |
| この記事 | 形成されたリソースを利用し、身体・環境・課題の制約のなかでその都度、構成される機能的な運動 |
第二段階:上達論
上達とは、 探索・自己組織化 ⇄ 精密化・収束 の往復です。具体的には次の螺旋になります。
自由探索 → 粗い解の発見 → 型・指導・反復による精密化 → 条件変更
↓
再精密化 ← 原理の発見 ← 再探索
第三段階:能力一般論
| 能力とは | |
|---|---|
| 従来 | 内部に完成された固定システム |
| この記事 | 蓄積されたリソースと安定傾向を使い、現在の身体・環境・課題との関係から、適切な解を構成できるシステムの性質 |
中心命題
以上から、現段階では次の命題を本理論の核とします。
命題1 技は固定された運動そのものではなく、状況のなかで構成される。
命題2 反復によって形成されるのは完成した技だけではなく、よりよい運動を自己組織化しやすくするリソース・協調関係・安定傾向である。
命題3 上達には「探索・自己組織化」と「収束・精密化」という二つのモードがあり、その往復によって柔軟性と精度を同時に高めていく。
命題4 状況変化を含む練習は、獲得した形をそのまま再生できなくすることで、その背後にある機能的原理の再発見と適応を要求する。
命題5 能力とは完成された回答の集合ではなく、新しい状況に対して適切な回答を生成できるシステムの性質である。
以上をまとめると、
上達とは「能力という完成品をつくること」ではなく、「よりよい解を生成できるシステムになること」である。
まだ仮説として残す部分
この記事のすべてが既存研究によって確立されているわけではありません。とくに次の五点は今後の検討課題です。
- 「探索→精密化→再探索」という順序が、あらゆる技能で最適なのか。
- 初心者と熟練者で、最適な変動量がどの程度、異なるのか。
- 武道の「型」を、自己組織化を導く制約としてどこまで一般化できるか。
- 運動技能で得られたモデルを、知的労働へどこまで一般化できるか。 ここまでの議論で外国語と仕事へ広げましたが、これは構造的な類推です。
- 内部モデルをどの程度まで必要とするのか。
五点めについては、別の記事で答えを出しています。 内部モデルを「完成した解の保存」ではなく「解を構成するための材料」と定義することで、行為がその都度、組織されるという主張と両立させました。
したがってこの記事では、 「内部モデルは存在しない」とは結論しません。 むしろ、
内部に形成されるものが存在するとしても、それだけから技能を説明するのではなく、身体―環境―課題の相互作用と自己組織化を含む階層的モデルを採用する
という立場をとります。このほうが現時点では理論的にも経験的にも堅牢です。
参考文献
14. de Bot, K., Lowie, W. & Verspoor, M. (2007). “A Dynamic Systems Theory approach to second language acquisition.” Bilingualism: Language and Cognition , 10(1), 7–21. DOI: 10.1017/S1366728906002732. 言語発達を、相互に依存する変数、初期条件への依存性、アトラクター、個人内・個人間の変動をもつ動的過程として論じています。 ↩
15. Hiver, P., Al-Hoorie, A. H. & Evans, R. (2022). “Complex dynamic systems theory in language learning: A scoping review of 25 years of research.” Studies in Second Language Acquisition , 44(4), 913–941. DOI: 10.1017/S0272263121000553. 158件の報告を分析し、CDSTを用いた第二言語研究の成果と方法論的な課題を整理しています。 ↩
16. “Experts and Expertise in Organizations: An Integrative Review on Individual Expertise.” Annual Review of Organizational Psychology and Organizational Behavior , Vol. 12. DOI: 10.1146/annurev-orgpsych-020323-012717. adaptive expertise を、既存の技術知識だけでは不十分な問題に対して知識・技能を再編成する能力として整理し、変化する領域での重要性を論じています。 ↩
17. 脚注3・4であげた Dynamic Systems Theory の発達研究では、行動レパートリーを、個別要素の発達とそれらの self-organization の双方から生じる attractor landscape として説明する整理があります。 ↩
18. Woods, C. T. et al. (2020). “Sport Practitioners as Sport Ecology Designers: How Ecological Dynamics Has Progressively Changed Perceptions of Skill ‘Acquisition’ in the Sporting Habitat.” Frontiers in Psychology , 11:654. DOI: 10.3389/fpsyg.2020.00654. 実践者を環境の designers と捉え、豊かで変化のある練習環境を通した自己調整と知覚―行為結合の発達を論じています。 ↩
19. Pinder, R. A., Davids, K., Renshaw, I. & Araújo, D. (2011). “Representative learning design and functionality of research and practice in sport.” Journal of Sport and Exercise Psychology , 33(1), 146–155. DOI: 10.1123/jsep.33.1.146. 練習環境に実際の遂行環境の情報・行為の関係を保持する representative learning design を提唱しています。 ↩