「大きな音や強い光には耐えられないのに、ケガや空腹には気づかない」「人の表情の細かな変化はすぐ分かるのに、自分の疲労や痛みには鈍感」。 神経多様性のある方や、HSPと呼ばれる繊細さを抱えた方、自閉スペクトラム症(ASD)や注意欠如・多動症(ADHD)の特性を持つ方に、よくこういう現象が見られます。
矛盾しているように見えるこの「過敏と鈍麻の同居」ひとつの神経科学的メカニズムから、論理的に説明できる現象であることが、近年の研究から明らかになってきました。
この記事では、予測符号化理論とHIPPEAモデルという最新の脳理論を軸に、なぜ過敏と鈍麻が同じ人に同居するのか、その神経生物学的な仕組みを丁寧に解説します。
そして、JINENボディワークがこの理解からどのようなアプローチを取るのかまで、論文を引用しながら紹介します。
読者の方への補足 神経多様性のあり方は人によって大きく異なり、自分の意思で実践に取り組めるとは限りません。過剰刺激下にあるとき、生活そのものに支援が必要なとき、執行機能の課題があるとき。こうした状況では「自分でなんとかしなくては」と読み取る必要はまったくありません。 本記事は理解のための情報です。ご自身や家庭での実践、また理解を深めるための参考としてお使いください。
なぜ「過敏」と「鈍麻」が同居するのか|古い理解と新しい理解
従来、感覚過敏と感覚鈍麻は別々の現象として扱われてきました。「過敏な人は刺激を抑える対処を」「鈍麻な人は刺激を増やす対処を」というように、対症療法として別個に考えられてきたようです。
しかし、臨床現場では「同じ人のなかに過敏と鈍麻が同居している」というケースが頻繁に観察されます。
- 蛍光灯のかすかな揺らぎが耐えられないのに、骨折に気づかない
- 服のタグの感触が我慢できないのに、何時間も空腹を放置してしまう
- 人の声色のわずかな変化を察知できるのに、自分の身体の疲労を見逃す
- 他者の感情の機微を読み取れるのに、自分の感情が分からない
これらは「敏感さと鈍感さの両方を持つ」というよりも、同じシステムの異なる側面だと考えるほうが、近年の神経科学では整合的に説明できます。
この理解の中心にあるのが、予測符号化(Predictive Coding) という脳の働き方についての新しいモデルです[1]。
脳は「予測する装置」である|予測符号化理論の基本
予測符号化理論によれば、脳は外からの情報を受動的に受け取る装置ではなく、常に「次に何が起きるか」を予測している能動的な推論マシンです。
私たちが「世界を見ている」と感じている体験は、実は脳が事前に作った予測モデルが、感覚入力によって微調整されている過程に近いといえます。
予測と現実のズレ「予測誤差」
予測符号化のもっとも重要な概念が、予測誤差(Prediction Error) です。
脳は、感覚器官から入ってくる情報のすべてを処理しているわけではありません。多くの感覚入力は「予測通り」のものとして、ほぼ無視されます。脳が注意を向けるのは「予測と違うもの」、つまり予測誤差だけです。
歩いているときに足元の段差に注意が向くのは、平らな道という予測が裏切られたから。会話中に相手の表情が変わったとき注意が向くのは、それまでの表情との予測誤差があるから。予測誤差こそが、脳にとっての情報の本体なのです。
「精度重み付け」が情報の重要度を決める
ただし、すべての予測誤差を脳が平等に扱うわけではありません。脳はそれぞれの予測誤差に「精度(Precision)」 という重み付けを行います。
精度とは、ざっくり言えば「このズレはどれくらい信頼できるか/重要か」を脳が判定する重みです。
- 信頼性の低いノイズ → 精度を下げて無視する
- 信頼性の高いシグナル → 精度を上げて注目する
たとえば暗い部屋で物音がしたとき、視覚情報は信頼性が低いので精度を下げ、聴覚情報の精度を上げて注意を向ける。これが正常な精度重み付けの働きです。
この精度重み付けが、何らかの理由で正常に機能しないとき、感覚処理は大きく歪みます。
HIPPEAモデル|「精度の不適切な高さ」が過敏を生む
ASDの予測符号化に関する研究分野から、感覚過敏の核心的な説明として提唱されているのが、HIPPEAモデル(High, Inflexible Precision of Prediction Errors in Autism:自閉症における予測誤差の高すぎる・硬直した精度)です[1]。
このモデルはこう説明します。
ASDの脳では、下位レベルの感覚的な予測誤差に対して、状況に依存せず常に「過剰に高い精度」が割り当てられている。
これが何を意味するかを、具体例で考えてみます。
「単なるノイズ」が「重要情報」になる脳
定型発達の脳では、エアコンの駆動音や蛍光灯のかすかな揺らぎ、衣服のタグの摩擦などの微細な感覚入力は、「環境ノイズ」として精度を下げて処理され、意識に上りません。
ところがHIPPEAモデルが正しいとすれば、ASDの脳ではこうした微細な感覚のズレにも常に「最大限重要」というラベル(高い精度)が貼られてしまいます。すべての予測誤差が「修正すべき重大なエラー」として上位の認知システムへ送られ続けるのです。
これが感覚過敏(Hyper-reactivity)の計算論的な正体だと考えられています。
過敏な人にとって、エアコンの音が「うるさい」のではなく、脳がその音を「無視してよい」と判断できない。聴覚そのものが鋭敏なのではなく、聴覚情報の重み付けが固着しているのです。
GABA(ガンマアミノ酪酸)という生理学的基盤
このHIPPEA的な状態を、別の角度から裏付けるのが、神経伝達物質GABA(γ-アミノ酪酸:脳のブレーキ役を担う抑制性神経伝達物質)に関する研究です。
複数の脳画像研究から、ADHDおよびASDの小児では、感覚や運動を扱う脳領域のGABA濃度が定型発達児よりも有意に低いことが報告されています[2][3]。
GABAは「感覚ゲーティング」、つまり無関係な感覚刺激を遮断するフィルター機能の中心を担う物質です。GABAが不足すると、本来なら抑制されるはずの微細な感覚入力まで皮質に到達してしまい、感覚過負荷を引き起こします。
さらに重要な発見として、定型発達児では「同じ触覚刺激を繰り返すと脳の反応が減衰する(馴化する)」現象がGABA濃度と強く相関するのに対し、ASD児ではこの相関が消失していました[3]。
つまり、刺激に慣れる仕組みそのものが弱いのです。
GABAの不足は、HIPPEAモデルが提唱する「精度の硬直した高さ」を、生理学的な分子レベルで裏付ける所見だといえます。「感覚過敏」は気のせいでも我慢のなさでもなく、神経伝達物質レベルの実体ある特性なのです。
では、なぜ「鈍麻」も生まれるのか|自由エネルギー原理と代償戦略
ここからが、この記事のもっとも重要な部分です。
HIPPEAモデルが「精度の高すぎる脳」を説明するなら、感覚鈍麻はどう説明すればいいのか。一見、正反対の現象ではないのか。
その答えが、自由エネルギー原理(Free Energy Principle) という脳の働き方の基本則にあります[1]。
脳は「計算コストを最小化する」
自由エネルギー原理を平易に言えば、脳はエネルギー消費を最小限に抑えようとする装置だ、ということです。
すべての予測誤差を「重要」として真剣に処理し続ければ、神経系はあっという間に計算コストの限界に達します。感覚過敏の状態に長時間さらされた脳が、いつまでもその状態でいられるはずがありません。
そこで脳は防衛策として、ふたつの代償戦略を取るようになります。
代償戦略①:硬直した強い事前予測を作る
ひとつ目は、上位階層が極端に硬直した強い事前予測を形成することです。
「世界はこのように動いているはずだ」「次にはこれが起きるはずだ」という予測モデルを、極端に強固にする。すると、入ってくる予測誤差を「いや、世界はこういうものだから」と上位から押さえ込むことができます。
具体的には、これはルーティンへの強い固執、反復行動(自己刺激行動/スティミング)、変化への強い抵抗として現れます。同じ服を着る、同じ道を通る、同じ食事を取る、同じ動作を繰り返す。こうした行動は外から見れば「こだわり」ですが、神経系の内側から見れば、予測誤差の暴走を抑え込むための必死の防衛策なのです。
代償戦略②:感覚そのものを能動的に遮断する
ふたつ目の代償戦略は、もっと劇的なものです。感覚入力そのものを能動的に遮断するのです。
ある特定の感覚チャンネルや特定の身体領域からの情報を、脳が「もう処理しない」と決める。すると、リソースは劇的に節約されます。痛み、空腹、疲労、内臓のサインといった内部からの情報を「処理しない」ことで、脳は破綻を免れます。
外から見れば、これは感覚鈍麻(Hypo-reactivity) として現れます。「ケガに気づかない」「空腹を感じない」「疲労を見逃す」「自分の感情が分からない」といった現象です。
けれど内側の真実は逆です。感じすぎているからこそ、感じないふりをしている。鈍麻は感受性の欠如ではなく、感受性の暴走を抑え込むためのシステムの能動的な選択だと考えられます。
結論:過敏と鈍麻は同じシステムの両側面
ここまでの話を整理すると、次のように言えます。
過敏と鈍麻は相反する障害ではなく、「精度の硬直した高さ」という単一の計算論的特性に対する、ボトムアップの処理(過敏)とトップダウンの防衛的適応(鈍麻)という、同一システムの異なる側面にすぎない。
これは、神経多様性のある方の「生きづらさ」を理解するうえで、決定的に重要な視点の転換です。
「過敏な人」と「鈍麻な人」が別々にいるのではない。「精度の硬直した高すぎる脳」というひとつの特性が、状況やリソースの状態に応じて、過敏として現れたり鈍麻として現れたりしている。
そして、同じ人のなかでも、エネルギーがあるときには過敏として、疲弊しきったときには鈍麻として、両方のモードが現れることがある。これが「混在型」の正体と考えられます。
「OSの働きの偏り」としての神経多様性
HIPPEAモデルが示しているのは、神経系の働きの偏りです。
ハードウェアである脳の構造が異常なのではなく情報処理アルゴリズム(OSの重み付け)が偏っている。だからこそ、適切な感覚入力を通じて、システムを少しずつ「チューニング」 することが可能だと考えられます
このフレームに立つと、神経多様性のある方への身体的アプローチの意味が、違って見えてきます。
「過敏な感覚を治す」のでも、「鈍麻な感覚を取り戻す」のでもありません。信頼できる感覚情報を、安全な量で、丁寧に脳に届け直すこと。それによって、過剰に偏った精度重み付けを、少しずつ調整していく。
これはJINENボディワークの「ニューロチューニング(神経系の調律)」であり、「体の調律」の神経科学的意義です。
なぜ理論を「感じる」に接続するのか
JINENボディワークでは、原理として「動く」より前に「感じる」を置きます。
これは、HIPPEAモデルの観点から見ると、精度重み付けのリチューニングという意味とつながります。ノイズの少ない信頼できる感覚シグナルを丁寧に脳に届けることで、過剰に偏った重み付けが少しずつ調整されうる、という方向性です。
ただし、ここで強調しておきたいのは、「過敏な状態にあるときに、自分で感覚に注目してみよう」と読まないでほしいということです。過剰な刺激下にある神経系にとって、内側に注意を向けることはむしろ負荷になります。
具体的な実践方法や、神経科学的に何が起きているのかについては、以下の関連記事でより詳しく扱っています。
関連記事
- 体の感覚が鈍い理由|身体感覚不全のメカニズム
- 内受容感覚とは|身体の内側を感じる力の正体
- HSP(とても繊細な人)の神経系|「敏感さ」を神経科学から読み解く
- 音に過敏な状態の神経科学|「うるさく感じる」を自律神経・ニューロセプションで読み解く
- 足裏で姿勢と脳が変わる|床支点とフィードフォワード制御
まとめ
- 感覚過敏と感覚鈍麻は別々の現象ではなく、「精度の硬直した高さ」という単一の計算論的特性の表と裏である
- HIPPEAモデルによれば、ASDなどの脳では微細な感覚のズレにも常に「過剰に高い精度」が割り当てられ、それが過敏として現れる
- GABA(脳のブレーキ役の神経伝達物質)の不足が、この「精度の硬直」の生理学的基盤として報告されている
- 過剰な予測誤差処理に耐えきれなくなった脳は、ルーティンへの固執や感覚の能動的遮断という代償戦略を取る。これが鈍麻として現れる
- ボディワークの役割は「壊れたものを治す」ことではなく、信頼できる感覚入力を通じて精度重み付けをリチューニングすること
- これは特定の診断名のためではなく、すべての人の神経系の自己調整を支える普遍的なアプローチである
「過敏」も「鈍麻」も、神経系が必死に世界に適応しようとしてきた痕跡です。それを「治す対象」ではなく「神経系の知恵」として捉え直すこと、この理解が、自分や身近な人を責めることをやめるための、ひとつの出発点になりうるのではないかと考えています。
参考文献
1. Van de Cruys, S., Evers, K., Van der Hallen, R., Van Eylen, L., Boets, B., de-Wit, L., & Wagemans, J. (2014). Precise minds in uncertain worlds: Predictive coding in autism. Psychological Review, 121(4), 649–675. https://doi.org/10.1037/a0037665
2. Edden, R. A. E., Crocetti, D., Zhu, H., Gilbert, D. L., & Mostofsky, S. H. (2012). Reduced GABA Concentration in Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder. Archives of General Psychiatry, 69(7), 750–753. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/22752239/
3. Puts, N. A. J., Wodka, E. L., Harris, A. D., Crocetti, D., Tommerdahl, M., & Mostofsky, S. H. (2017). Reduced GABA and Altered Somatosensory Function in Children with Autism Spectrum Disorder. Autism Research, 10(4), 608–619. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/27611990/
補足 この記事は、読者の方々の個人的な実践や学習のヒントとなる研究を紹介する目的で制作したものです。効果を保証するものではありません。また、エビデンスは最新の研究によって覆される場合や、賛否があるものもあります。学習や実践の参考程度にしてください。