「学び続ける脳」はタダでは動かない
「いくつになっても新しいことが学べる」、これは脳の素晴らしい性質です。けれどこの学び続ける能力には、生物としてかなり大きな代償を払っているらしいということが、近年の脳代謝研究から見えてきています。
私たちの脳は、体重のおよそ2%しかないのに、安静時のエネルギー消費の約20%を使う「燃費の悪い臓器」です。とくに前頭前野やデフォルトモードネットワーク(ぼんやりしているときに活発になる広域ネットワーク)といった連合野と呼ばれる領域は、エネルギー消費が群を抜いて高いことが分かっています。
「好気性解糖」という代謝モード
脳のエネルギー代謝の研究分野では、糖を完全に燃やしきらず、酸素が十分にあるのにあえて中間代謝物として残す**好気性解糖(aerobic glycolysis)**という代謝モードが注目されてきました。
PET(陽電子断層撮影)を用いた研究で、ヒトの脳における好気性解糖の分布が領域ごとに大きく異なり、前頭前野や後内側皮質などのデフォルトモードネットワーク領域に集中していることが報告されています [1]。
さらにこの好気性解糖が高い領域では、乳児期に高く発現するはずの「ネオテニー的(発達期型)遺伝子群」が大人になっても持続的に発現していることが示されており、両者の空間分布の相関は非常に強いと報告されています [2]。
簡単にいえば、大人の脳の中で「学び続けている領域」は、子どもの脳に近い代謝モードと遺伝子発現プロファイルを保ち続けているということです。これがヒト独特の長期可塑性、つまり「いくつになっても変われる」性質を支えていると考えられています。
ただし、コストがある
ここからが大事な話です。長期にわたる高代謝・高可塑性のニューロンは、その代償として酸化ストレスへの曝露が長く続くという脆弱性を抱えていると、神経老化研究の分野では議論されています [3]。
これと整合する所見として、好気性解糖が高い領域とアルツハイマー病で見られるβアミロイド沈着の領域分布が、空間的によく似ているという報告もあります [4]。「同じ領域が、生涯にわたる学習能力の源でもあり、加齢期の脆弱性の現場でもある」、こうした両義性を示唆する観察です。
ただしこれは現時点では相関的・空間的な観察であり、「高い代謝コストが直接神経変性疾患を引き起こす」という因果関係はまだ仮説段階です。鵜呑みにしないことも大切です。
JINENの考え方 ― OSのアップデートには睡眠と回復が要る
JINENボディワークでは、体を変えていく作業を「OSのアップデート」になぞらえて説明することがあります。神経系の使い方そのものを書き換えていく作業だからです。
ここで意外と忘れられがちなのが、アップデートには代謝的コストがかかるという事実です。新しい動きを学ぶ、新しい感覚を獲得する、過緊張を解いて使い方を再構築する、これらはどれも脳のエネルギーを大きく消費します。
レッスンの後で「眠くなる」「だるくなる」と感じる方は少なくありません。これは「効いていない」のではなく、むしろ脳と神経系がアップデートを処理している証拠であることが多いと私は考えています。
そのため、JINENでは「練習量を増やす」よりも「整える時間を確保する」ことを大切にしています。具体的には、
- 練習日の夜は十分な睡眠をとる
- 連続して詰め込まず、間に回復日を挟む
- ぼんやりする時間(デフォルトモードが働く時間)を意識的に取る
こうした地味な工夫が、神経系の書き換えを定着させる土台になります。
「できるようになる」より「壊さない」を先に
熱心に取り組む方ほど、回復を後回しにして練習量を増やしがちです。けれど脳にとって学習と回復は別の作業ではなく、回復のなかで学習が定着するものです。代謝コストの研究は、この回復のフェーズの重要性を生物学のレベルから裏づけてくれます。
「鍛える」より先に「壊さない」、「詰め込む」より先に「ゆだねる時間を確保する」、こうした順序の取り戻しが、長く学び続けられる体と脳を作っていくと私は考えています。
補足 この記事は、読者の方々の個人的な実践や学習のヒントとなる研究を紹介する目的で制作したものです。効果を保証するものではありません。また、エビデンスは最新の研究によって覆される場合や、賛否があるものもあります。学習や実践の参考程度にしてください。
参考文献
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Vaishnavi, S. N., Vlassenko, A. G., Rundle, M. M., et al. (2010). Regional aerobic glycolysis in the human brain. Proceedings of the National Academy of Sciences USA, 107(41), 17757–17762. ↩︎
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Goyal, M. S., Hawrylycz, M., Miller, J. A., et al. (2014). Aerobic glycolysis in the human brain is associated with development and neotenous gene expression. Cell Metabolism, 19(1), 49–57. ↩︎
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Bufill, E., Agustí, J., & Blesa, R. (2011). Human neoteny revisited: The case of synaptic plasticity. American Journal of Human Biology, 23(6), 729–739. ↩︎
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Vlassenko, A. G., Vaishnavi, S. N., Couture, L., et al. (2010). Spatial correlation between brain aerobic glycolysis and amyloid-β (Aβ) deposition. Proceedings of the National Academy of Sciences USA, 107(41), 17763–17767. ↩︎