「早く成長しなければ」という思い込み
「子どもは早く自立させたほうがいい」「大人になってからでは体は変わらない」、こうした言葉を耳にすることがあります。早く成熟することが優れていて、未成熟な状態は乗り越えるべきもの、というイメージが私たちの中には根強くあります。
ところが進化生物学や神経科学の知見をたどっていくと、ヒトという生き物はむしろ**「発達を遅らせる」ことで知性を獲得してきたらしいという、まったく逆の姿が浮かび上がってきます。この「発達遅延」は、専門的にはネオテニー(幼形成熟)**と呼ばれます。
ヒトの脳は他の類人猿より「ゆっくり育つ」
ヒトと近縁のチンパンジーやアカゲザルを比べると、シナプス(神経細胞同士のつなぎ目)の形成や、大脳皮質の遺伝子発現パターンの成熟には大きな違いがあります。
霊長類の脳の比較研究の分野では、ヒトの前頭前野では出生後の遺伝子発現変化のタイミングが他種に比べて全体的に遅れて進むこと、そしてこの遅延を示す遺伝子の多くがシナプス形成や神経発達に関わるものであることが報告されています [1]。
組織レベルで見ても、ヒトの背外側前頭前野(おでこの奥にある「考える」領域)では、シナプスの間引き(プルーニング)が思春期で終わらず、20代後半から30歳前後まで続くことが分かっています [2]。これは他の霊長類と比べてかなり長い成熟期間です。
さらに分子レベルでは、ヒト系統で過去200〜300万年の間に新しく生まれた遺伝子(SRGAP2C などのヒト特異的パラログ)が、シナプスの成熟をあえて遅らせる方向に働くことが、マウスを使った実験で示されています [3]。つまりヒトのゆっくりした発達は、偶然そうなっているのではなく、進化の過程で能動的に選ばれた仕組みらしいのです。
なぜ「遅い」ことが「賢さ」につながるのか
早く完成してしまった脳は、その時点での環境にはよく適応しますが、それ以降の変化には対応しにくくなります。一方、長い未熟期を保つ脳は、環境からの入力を受け取って自分自身を作り変える時間を、何年も、何十年も持てます。
ヒトの脳は、長く未完成のままでいることで、経験によって自分を彫刻し続ける可能性を確保してきたと考えられています。子どもがあれほど多くの言語や習慣を吸収できるのも、大人になってからも新しい技能を身につけられるのも、この「ゆっくり成熟する設計」の恩恵だといえます。
JINENの考え方 ― 焦らない、長期で変わる
JINENボディワークでは、体の変化を短期で結果を出す対象としては扱いません。一回のレッスンで姿勢が劇的に変わることはあっても、それが定着して日常の動きを変えていくには、神経系がゆっくり書き換わる時間が必要です。
「マイナスのアプローチ」、つまり余計な緊張を差し引いて本来の機能を取り戻すという発想は、生き物としてのヒトが本来持っている長期可塑性にゆだねる発想でもあります。短期間で無理に矯正するのではなく、ゆっくりと感じ直し、ゆだね直し、つなげ直していく。この時間の使い方は、ヒトの脳が進化の中で選んできた「ゆっくり育つ」というやり方と、ちょうど重なります。
「もう年齢的に手遅れだから」「早く結果が出なければ意味がない」、こうした焦りは、ヒトの脳の特性とは少しずれた前提に立っているのかもしれません。進化が時間をかけて作ってきた仕組みに、私たち自身ももう少し時間をゆだねていい、と私は考えています。
ゆっくりであることは、弱さではない
発達が遅いということは、未熟で頼りない状態が長く続くということでもあります。ヒトの子どもが他の哺乳類に比べて自立に膨大な時間を要するのは、その代償です。けれどその「弱さ」と引き換えに、ヒトは長い学習窓と、生涯を通じた可塑性を手にしてきました。
体を変えていく営みも、これと同じ時間軸の上にあります。ゆっくりであることを欠点と見ず、長く育ち続けられる設計として受け取り直す。それが、無理なく自分の体と付き合っていく出発点になるのではないでしょうか。
補足 この記事は、読者の方々の個人的な実践や学習のヒントとなる研究を紹介する目的で制作したものです。効果を保証するものではありません。また、エビデンスは最新の研究によって覆される場合や、賛否があるものもあります。学習や実践の参考程度にしてください。
参考文献
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Somel, M., Franz, H., Yan, Z., et al. (2009). Transcriptional neoteny in the human brain. Proceedings of the National Academy of Sciences USA, 106(14), 5743–5748. ↩︎
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Petanjek, Z., Judaš, M., Šimić, G., et al. (2011). Extraordinary neoteny of synaptic spines in the human prefrontal cortex. Proceedings of the National Academy of Sciences USA, 108(32), 13281–13286. ↩︎
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Charrier, C., Joshi, K., Coutinho-Budd, J., et al. (2012). Inhibition of SRGAP2 function by its human-specific paralogs induces neoteny during spine maturation. Cell, 149(4), 923–935. ↩︎