何がしたいのか分からない、何を感じているのか分からない
「何が食べたい?」と聞かれても答えられない。「最近どう?」と聞かれると固まる。自分の感情が分からない。疲れているはずなのに疲れに気づかず、限界まで走って突然倒れる。
こうした「自分が分からない」という感覚は、怠けでも甘えでもなく、**神経レベルで起きている「回線の遮断」**として理解できます。
「自分を感じる」ための脳の場所:島皮質
012の記事で「内受容感覚」について解説しましたが、ここではさらに一歩踏み込みます。
脳の深部に、**島皮質(とうひしつ、Insula)**という部位があります。島皮質は、心臓の鼓動、腸の動き、呼吸の深さ、筋肉の張り、体温の変化など、全身から送られてくるバラバラの生理的信号を統合し、「今の私はこういう状態だ」というひとまとまりの感覚を作り出しています [1]。
この統合された身体感覚こそが、「私がここにいる」「これは私の体だ」という**自己所有感(Sense of Ownership)**の源だと考えられています。
つまり、「私らしさ」や「自分の感覚」は、頭の中の思考ではなく、体の内側から送られてくる情報を島皮質が統合することで生まれているのです。
感情の「材料」は体にある
さらに重要なのは、思考や感情の「原材料」が身体にあるという点です。
私たちは「脳で悲しいと思うから涙が出る」と考えがちですが、生理学的な順序はむしろ逆です。
- 体の変化が先:呼吸が浅くなる、胸が締め付けられる、涙腺がゆるむ(内受容感覚の変化)
- 脳が後から解釈:その身体変化を島皮質がキャッチし、「これは悲しみだ」と名前をつける
感情の構成に関する研究でも、脳は体の内部状態を元に感情を「構成」していることが提唱されています [2]。体からの原始的な快・不快の信号が、あらゆる感情の土台になっているということです。
なぜ「自分が分からなくなる」のか
この仕組みを知ると、「自分が分からない」状態のメカニズムが見えてきます。
長期間のストレス、過剰適応、幼少期の感情抑圧などによって、人は生存のために内受容感覚の回路を意図的に遮断することがあります。「体からの通知をオフにする」ようなものです。
体からのSOSを受け取ると辛くなるから、そもそも受け取らないようにする。これは脳にとって合理的な防衛反応なのですが、長期化すると以下の問題が起きます:
- 何を感じているか分からない:体からの快・不快の信号が届かないため、感情の「原材料」がない。自分が怒っているのか悲しいのか、そもそも何かを感じているのか判別できなくなる(アレキシサイミア傾向)
- 何がしたいか分からない:「やりたい」という衝動は身体感覚(ワクワク、胸が躍る)が基盤。その感覚が遮断されていると、「何がしたいか分からない」のは当然の帰結
- 限界に気づけない:疲労、空腹、痛みの警報が鳴らないため、ギリギリまで走り続けて突然倒れる
内受容感覚とアレキシサイミアの関連を調べた研究からも、自分の感情を識別することが困難な人は、心拍の検出精度(内受容感覚の客観的指標のひとつ)が低い傾向が報告されています [3]。
3つのタイプ
JINENの現場では、「自分が分からない」人は大きく3つのパターンに分かれます。
① 感覚乖離タイプ:「何も感じません」 内受容感覚のスイッチが完全にオフの状態。「お腹の温かさを感じて」と言っても「無です」と即答する。表情が乏しく、動きが機械的。
② 思考優位タイプ:「合ってますか?」 体を感じる代わりに、頭で「正解」を探す。左脳の分析が強すぎて、感覚の世界に降りてこられない。「正しくやらなきゃ」という不安が、内向きの注意を妨げている。
③ 境界線不明タイプ:「他人に振り回される」 自分の感覚と他人の感覚の区別がつかない。自分の体の輪郭(バウンダリー)が曖昧なため、他人の感情に浸食されやすい。詳しくは次の記事(078)で扱います。
JINENのアプローチ:感覚の回線を「つなぎ直す」
JINENボディワークでは、「自分を見つける」作業を思考ではなく身体から行います。
ただし、最も重要なポイントは段階の設計です。
感覚が遮断されている人にいきなり「お腹の奥を感じて」と言っても、何も起きません。脳が受信を拒否しているからです。
段階的なアプローチ:
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まず物理的な刺激から始める:自分の手で太ももを軽く叩く、床の硬さを確認する、冷たいペットボトルを握る。「微細な感覚」はハードルが高すぎるので、誰でも必ず感じられる「強い感覚入力」から回線を開通させる
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重さと境界線を感じる:仰向けで「床と接している背中の面積」を感じる。これは「ここまでが自分の体だ」という輪郭を脳に認識させる作業。メルティング(床に溶けるイメージ)を使う
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温かさを探す:手をお腹に当て、手のひらの温かさだけを感じる。温かさの感覚は腹側迷走神経(005参照)の活性化と直結しており、「安全だ」の信号を内側から送ることになる
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微細な感覚へ移行:心拍の感覚、呼吸によるお腹の膨らみ。ここまで来て初めて、本格的な内受容感覚のトレーニングになる
指導上の注意: このタイプの人は「感じなきゃダメだ」と自分を追い込みやすい。「感じないこと」を否定しないことが最も大切です。「今は何も感じないなぁ、という状態をただ観察してください。それ自体が立派な内観です」、こう伝えるだけで、脳への圧力が下がり、受信チャンネルが少しずつ開いていきます。
「自分が分からない」のは、あなたが鈍いからではない。 脳があなたを守るために、感覚のスイッチを切ってくれていた。JINENのワークは、もう安全な場所にいるのだから、そのスイッチをゆっくり戻していいよ、と体に伝える作業なのです。
補足 この記事は、読者の方々の個人的な実践や学習のヒントとなる研究を紹介する目的で制作したものです。効果を保証するものではありません。また、エビデンスは最新の研究によって覆される場合や、賛否があるものもあります。学習や実践の参考程度にしてください。
参考文献
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Craig, A. D. (2009). How do you feel — now? The anterior insula and human awareness. Nature Reviews Neuroscience, 10(1), 59–70. ↩︎
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Barrett, L. F. (2017). How Emotions Are Made: The Secret Life of the Brain. Houghton Mifflin Harcourt. ↩︎
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Murphy, J., Geary, H., Millgate, E., Catmur, C., & Bird, G. (2018). Is alexithymia characterised by impaired interoception? Further evidence, the importance of control variables, and the problems with the Heartbeat Counting Task. Biological Psychology, 136, 170–177. ↩︎