【170】力を抜くだけでは動けない ― 体が学習している「ちょうどよい硬さ」

Aug 05, 2026

はじめに:抜きすぎてもうまくいかない

「力を抜いてください」と言われて、素直に全部抜いてみる。

すると、こんどは道具に振り回されます。手応えがなく、狙ったところへ力が届きません。

かといってしっかり固めると、動きは重くなります。筋力頼みになりすぐに疲れます。

このあいだのどこかに「ちょうどよさ」があるのは、体感として分かります。しかし、それがどのくらいなのかは言葉にしにくい。そして、意識で「このくらいの硬さにしよう」と決められるものでもありません。

運動制御の研究を見ると、この「ちょうどよい硬さ(安定)」は、体が経験を通じて学習しているものであることが分かってきます。

🎯 この記事で伝えたい3つのこと
1. 体は動く前に「どのくらいの硬さで受けるか」を決めている
2. その硬さは、経験によって学習されたものである
3. 脱力とは、力をゼロにすることではない


1. 不安定な課題では硬さが必要になる

運動制御の研究に、本質的に不安定な課題を使った実験があります[1]

分かりやすい例として挙げられているのが、ドライバーの先をネジの溝に保つという場面です[1]。力が強すぎたり、向きがずれたりすると、先端は滑って接触を失います。ほんの少しのズレが、そのまま失敗につながる状況です。

こうした課題では、「正しい力を出す」だけでは足りません。ズレようとする動きに抗する性質が、腕の側に必要になります。

ここで働いているのが、腕の機械的なインピーダンスです。難しい言葉ですが、要するに外から力を加えられたときに、どれくらい押し返すか・どれくらい変形しにくいかという性質のことです。関節をどのくらいの硬さに保つか、と考えると近いと思います。

この研究が示したのは、中枢神経系が、この硬さを学習によって最適化しているということです[1]。硬さは、不安定さに抗する力を生み出すために調整されています。

つまり体は「どう動かすか」だけでなく、「どのくらいの硬さで構えるか」も制御対象にしているわけです。


2. 硬さはあらかじめ決められている

もうひとつ大事なのは、この硬さが動きながら反応的に決まっているのではないという点です。

学習によって最適化されている、ということは、過去の経験からあらかじめ設定されているということです。

だから、初めて扱う道具ではこの見積もりが外れます。思ったより重い物を持ち上げようとして体が沈む、逆に軽すぎて跳ね上がる。あれは、硬さの設定が現実と合わなかった瞬間です。

そして使い込むほど、その道具に合った硬さが体に入っていきます。「この道具は手に馴染んでいる」という感覚には、こうした学習の蓄積が含まれていると考えられます。


3. 「タイミングの調整」とは別の仕組み

ここで、似ているけれど別の仕組みに触れておきます。

姿勢の制御には、予測的姿勢調節(先行随伴性姿勢調節、APA: anticipatory postural adjustments)と呼ばれる働きがあります。何か動作をしようとするとき、その前に姿勢を保つための筋があらかじめ働き、予想される崩れに備える仕組みです。姿勢の中枢制御は、この予測的な調節と、事後の代償的な調節という形で表現されると整理されています[2]

こちらは主に「いつ、どの筋が働くか」という話です。

一方、この記事で見てきた硬さの調整は「どのくらいの硬さで受けるか」という話です。

2つとも「先回りして備える」という点では共通していますが、調整している中身が違います。タイミングと強度、と分けて捉えると整理しやすいと思います。

体は、動く前にタイミングも硬さも用意している。私たちが「構える」と呼んでいるものの中身は、おそらくこの両方です。


JINENの言葉でいうと

JINENボディワークで「上虚下実」と言ってきたことの意味が、ここで少し立体的になります。

上虚下実は、「上半身は虚(ゆるめて)、下半身は実(充実させて)」という状態を指します。これは、全身の力をゼロにすることではありません。 場所によって必要な安定・固定の力が違う、という話です。

「力を抜いてください」という言葉は、どうしても「ゼロにする」と受け取られがちです。しかし実際に目指しているのは、必要なところに必要なだけの硬さがあり、それ以外が虚になっている状態です。

古武道で例えると、手の内がここに当たります。緩みきっていれば刀に振り回され、固めれば体幹から伝わった力が手首で止まります。その中間のどこかに、力が通る硬さがあります。

同じことは、道具を使うあらゆる場面にあるはずです。ラケットのグリップ、包丁の握り、ペンの持ち方。「強く握らないと不安、でも握ると効かない」という感覚を持ったことがある方は多いと思います。あの居心地の悪さは、ちょうどよい硬さがまだ体に入っていない状態だと考えられます。

そして重要なのは、この「ちょうどよさ」は意識では作れないということです。学習によって最適化されるものである以上、頭で決めた数値を再現することはできません。

だからこそ、繰り返し触れ、繰り返し扱う意味があります。稽古や練習は、動きの形を覚えるためだけのものではありません。その道具・その相手・その状況に合った硬さを、体に学習させる時間でもあります。

「力を抜く」がうまくいかないとき、それは抜き方が足りないのではなく、まだ硬さの見積もりができていないだけかもしれません。その場合に必要なのは、もっと力を抜こうとすることではなく、その対象にもっと触れることです。


補足
この記事は、読者の方々の個人的な実践や学習のヒントとなる研究を紹介する目的で制作したものです。効果を保証するものではありません。また、エビデンスは最新の研究によって覆される場合や、賛否があるものもあります。学習や実践の参考程度にしてください。


参考文献

  1. Burdet E, Osu R, Franklin DW, Milner TE, Kawato M (2001). The central nervous system stabilizes unstable dynamics by learning optimal impedance. Nature, 414(6862), 446–449. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/11719805/

  2. Massion J (1992). Movement, posture and equilibrium: interaction and coordination. Progress in Neurobiology, 38(1), 35–56. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/1736324/

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