はじめに:なぜ「安心する」ことに、難しさを感じる人がいるのか
「安心する」ことは、誰にでも自然に備わっている当たり前の機能のように思えます。しかし発達の観点からみると、安心を感じ、乱れた状態から自分を落ち着かせる力は、幼少期に養育者との関係の中で「育てられる」能力です。
この記事では、その安心の土台がどう作られるのか、そしてその土台が深く揺らいだときに何が起こるのかを見ていきます。センシティブな内容を含みますが、当事者の方が読む前提で、断定や決めつけを避けて記します。
🎯 この記事で伝えたい3つのこと
- 赤ちゃんは自力で落ち着けず、養育者との「共調整」を通じて安心を学ぶ
- 安心は「気の持ちよう」ではなく、関係と自律神経のレベルで起こる
- 大人になってからでも、安心を感じ直す力は育て直せる可能性がある
1. 安心は「一人」では育たない ― 共調整
赤ちゃんは、自分の感情や体の状態を、自力で調整する力をまだもっていません。苦痛を感じたとき、養育者の助けを借りて落ち着きを取り戻します。信頼する相手が穏やかであると、その穏やかさの手がかり(表情・声のトーン)を神経系が受け取り、こちらの神経系も鎮まっていく。この過程を「共調整(きょうちょうせい)」といいます。
この鎮まりの生理的な担い手が、安心・つながりをつかさどる腹側迷走神経系(社会的関与のシステム)です。安心とは、他者との関係を通じて神経系が調律し合うプロセスであり、その繰り返しを通じて、やがて子どもは自分で自分を落ち着かせる力を内側に育てていきます。JINENでいう「もらう」(外から力・安心を受け取る)は、この共調整の発達的な原型といえます。
2. 安心は、体のレベルで起こる ― スティルフェイス実験
養育者とのつながりが乳児の体にどれほど直接影響するかを鮮やかに示すのが、「スティルフェイス実験」です。養育者が赤ちゃんと自然に遊んだあと、突然「無表情」になって反応を止め、その後また遊びを再開する、という手続きです。無表情の場面で、多くの乳児は視線をそらし、ぐずり、明らかな苦痛を示します。
生理的にも変化が起こります。この実験の自律神経反応をまとめたメタアナリシスによると、無表情の場面では迷走神経のはたらき(RSA)が低下し、遊びを再開する場面で回復するというパターンが確認されました[1]。注目すべきは、高リスクの環境にある乳児では、再開の場面でこの回復が十分に起こりにくかったことです[1]。さらに、養育者の応答性やタッチが乳児の自律神経の回復に影響し、応答的なかかわりや優しいタッチが回復を促進することも示されています[1]。安心は「気の持ちよう」ではなく、関係と体(自律神経)のレベルで起こる出来事であり、応答的なかかわりが乱れた神経系の回復を実際に助けるのです。
もっとも理解が難しく、深いトラウマと関連するのが、養育者自身が恐怖の源になっている場合です。近づいて安心を得るはずの相手が恐怖の源であるとき、乳児は近づくことも逃げることもできない、根源的なジレンマに陥ります。こうした背景は、心理的な問題であると同時に、ストレス応答系の「設定」に刻まれる身体的な出来事でもあります。長期にわたる反復的なトラウマの帰結として、感情の調整・自己認識・対人関係にわたる困難が生じることもあり、こうした状態は近年、複雑性PTSD(C-PTSD)として整理されるようになっています[2]。
JINENの言葉でいうと
これらの知見は、JINENボディワークの原則に、慎重な形で接続します。
まず、「安全・安心が先」という順序の徹底です。安心は認知的な説得ではなく、自律神経レベルの共調整を通じて育ちます。だからこそ、頭で「大丈夫」と考えるより先に、体が安全を感じられる条件(穏やかな声・ゆっくりした間・優しい接触・急かさない環境)を整えることが土台になります。
次に、共調整から自己調整へ、という道筋です。幼少期に十分な共調整を得られなかった場合でも、可塑性は残されています。応答的な関係の中で自律神経の回復が促されるという知見[1]は、大人になってからでも、安心できる関係と身体的な手がかりを通じて、神経系の調律をやり直せる可能性を示唆します。JINENの指導者が「調律師」として、まず自分の神経系を穏やかに保ち、安心の場をつくることには、この共調整の意味があります。
そして、「ゆだねる」ことの再学習です。かつて安心が難しかった人にとって、「力を抜く」「ゆだねる」ことは、単なるリラクゼーションではなく、再学習の側面をもちます。だからこそ、無理に緩めさせるのではなく、本人の神経系が「もう安全だ」と感じられる範囲で、少しずつ経験を積み重ねることが大切になります。
補足 この記事は、読者の方々の個人的な実践や学習のヒントとなる研究を紹介する目的で制作したものです。効果を保証するものではありません。複雑性トラウマや愛着に関わる深い困難は、専門的なケアを要する領域です。身体アプローチが専門的な治療に代わることを主張するものではありません。深刻な困難がある場合は、専門家の支援と併せて考えることをおすすめします。
参考文献
1. Jones-Mason K, et al. (2018). Autonomic nervous system functioning assessed during the Still-Face Paradigm: A meta-analysis and systematic review of methods, approach and findings. Developmental Review, 50, 113–139.(スティルフェイス実験はTronick et al. 1978が考案)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC7945875/
2. World Health Organization ICD-11: Complex Post-Traumatic Stress Disorder(複雑性PTSD)と Disturbances in Self-Organization(自己組織化の障害)の定義。米国国立PTSDセンター解説:https://www.ptsd.va.gov/professional/treat/essentials/complex_ptsd.asp
3. Porges SW (2011). The Polyvagal Theory: Neurophysiological Foundations of Emotions, Attachment, Communication, and Self-regulation. W.W. Norton.