技法の鍛錬を通じて何が本当に発達しているのか
本稿の位置 :本プロジェクト第4部(技術論)の後編にあたります。 本編の最後の稿です。 前編で「上達とは、よりよい解を生成できるシステムになることである」と述べました。本稿は、その「システム」の中身を具体的に検討します。技法を練習することによって、実際には何が発達しているのか。
要旨
本稿では、技法の練習によって発達しているものを、個別の技法と、それを生み出す基礎的・生成的な能力の二層に分けて考えます。
剣術で正面切りを練習するとき、正面切りの形だけでなく、全身の協調、姿勢や重心の制御、力の伝達、多関節の協調、感覚情報を使った調整なども発達していると考えられます。目に見える技法は、こうした運動組織化能力が、特定の課題と制約のもとで現れたものです。
生成能力は、同じ条件で技法を反復しているだけでは評価しにくく、距離、相手、速度、課題などを変えたときに明確になります。条件変更は技を崩すためではなく、固定された解だけでは対応できない状況を作り、生成能力を働かせるために行います。
この観点から見ると、型は完成形を複製する対象であるだけでなく、過去の熟練者が発見した機能的な原理を学び、異なる条件で再構成するための文化的装置でもあります。
本稿の見取り図
【二重構造】②は①が特定の条件下で具体化したもの
身体的・知覚的リソース
↓
①基礎的な運動組織化能力 ← 目に見えない
↓
+課題・相手・武器・環境・流派的制約
↓
その場での構成
↓
②具体的技法 ← 目に見える
【循環】因果は一方向ではありません
①生成能力 ──────→ ②具体的技法
↑ │
└──── ②の練習 ───────┘
(①が発達する)
【五つの層】上層ほど具体的、下層ほど再利用可能
第1層 身体の基本リソース 筋力・可動性・感覚能力
第2層 汎用的な運動組織化能力 重心制御・多関節協調・タイミング
第3層 領域特異的な生成能力 刀の慣性の利用・間合いを読む
──────────────────────────────────────────────
第4層 具体的技法 正面切り・袈裟切り・型
──────────────────────────────────────────────
第5層 その瞬間の具体的運動 一回限りの運動
第I部 技能鍛錬の二重構造
1. はじめに:何が発達しているのか
前編では、技術を「身体の内部に固定された完成運動」と考える立場から、身体・環境・課題の相互作用のなかで、その都度、機能的な運動が構成されるものとして捉え直しました。
そこから次のモデルを提示しました。技は固定的な運動パターンそのものではない。反復は完成形を刻み込むためだけに行うのではない。探索・自己組織化と、収束・精密化という二つのモードを往復することが上達につながる。内部に形成されるリソースや安定傾向を使って、その都度、具体的な技が構成される。
しかし、このモデルには、もう一つの問題が残ります。
技法を練習することによって、実際には何が発達しているのか
という問いです。
剣術で正面切りを練習した場合、われわれは通常「正面切りという技が上達した」と考えます。しかし経験的には、実際に起きている変化はそれだけではありません。
正面切りを繰り返す過程では、形以外の能力も発達しているように思われます。全身の協調、姿勢や重心の制御、身体内での力の伝達、複数の関節自由度の調整、状況に応じた動作の変更、感覚情報を使った運動の修正などです。
ここから、技能の鍛錬には少なくとも二つの異なる層が存在するという仮説が得られます。
2. 二つの層
技能の上達には、少なくとも次の二つの層が存在すると考えられます。
① 基礎的・生成的な能力
これは個別の技法そのものではなく、技法を成立させるより基礎的な働きです。姿勢制御、重心制御、バランス、多関節の協調、力の調整、力の伝達、タイミングの調整、身体各部の連動、感覚情報の利用、知覚と運動の結合、状況変化への適応、身体自由度の再編成、そして与えられた課題に対して運動上の解を探索する能力などです。
これらをまとめて、本稿では暫定的に 生成的能力 あるいは 運動組織化能力 と呼びます。
② 個別的・現象的な技法
こちらは実際に目に見える具体的な技能です。剣術なら、正面切り、袈裟切り、受け、足遣い、構え、特定の型、特定の間合いでの技などです。 これらは特定の武術体系・課題・文化・環境のなかで成立した具体的な解です。
3. 通常の技能観は②を重視しすぎる
人間は現象として見えるものを評価しやすいものです。
剣術なら、刀の角度、軌道、足の位置、姿勢、速度、型の正確さなどは外から観察できます。したがって「形がきれいになった」「刀筋が正確になった」「型を間違えずできるようになった」ことを、そのまま上達と考えやすくなります。つまり、技能の 現象的な側面である② へ注意が集中します。
しかし、その現象を生み出している下位には、次の①の働きが存在します。どのように身体自由度をまとめるか。どのように重心を維持するか。どのように相手との距離を知覚するか。どのように必要な力を身体全体から刀へ伝えるか。どのように状況の変化に応じて協調関係を変えるか。
したがって、
目に見える技法は、より基礎的な運動組織化能力が、ある特定の課題・制約のもとで現れた現象である。
と考えることができます。
4. ①と②の関係:生成能力から技法が生まれる
この関係を模式化すると、次のようになります。
身体的・知覚的リソース
↓
基礎的な運動組織化能力 ← 自己組織化によって長期に形成される
↓
+課題・相手・武器・環境・流派的制約
↓
その場での構成 ← 一回ごとに組み上がる
↓
具体的技法
二つの矢印は時間のスケールが違います。 第2部の前編で述べたとおり、①が形成されるのは自己組織化であり、②がその場で組み上がるのは構成です。
正面切りを例にすると、足で床反力を扱う能力、重心移動、体幹の制御、肩・肘・手首の協調、刀の慣性への対応、相手との距離の知覚、適切なタイミングなどが組み合わされます。
それらが「相手を正面から切る」という課題と、刀・間合い・相手・ルール・流派という制約のもとで組織されます。その結果として、 正面切り という具体的な現象が生じます。
したがって②は、①から切り離された独立物ではありません。 ②は①が特定の条件下で具体化したもの と考えるほうが適切です。
5. しかし因果関係は一方向ではない
重要なのは、「①が発達したから②ができる」という一方向だけではないことです。実際には次の循環が存在します。
① → ② 生成能力から技法が生まれる
②の練習 → ① 技法の練習が生成能力を発達させる
正面切りを練習することによって、正面切りの精度だけが上がるのではありません。その過程で、重心の制御、全身の協調、タイミング、身体部位間の力の伝達、感覚と運動の調整なども変化します。
個別技法は、それ自体が目的であると同時に、基礎的な運動組織化能力を鍛えるための課題でもある。
ここに技能鍛錬の二重性が存在します。
ただし、どのような練習でも①が発達するわけではありません。 同じ条件で同じ形を繰り返すだけでは、②の精度は上がっても①は働きません。 その条件については第9章以降で扱います。
6. ベルンシュタインの「自由度問題」との接続
この仮説には、運動制御の研究におけるベルンシュタインの自由度問題が近いものです。
人間の身体は、多数の関節・筋・運動自由度をもっています。同一の課題を達成する場合でも、可能な身体の構成は多数、存在します。 運動制御の中心の問題の一つは、この膨大な自由度をどのように機能的な協調状態としてまとめるかという点にあります。
ベルンシュタインの古典的な学習モデルでは、初心者はまず自由度を一時的に「凍結」し、制御の問題を単純にするとされます。熟練が進むにつれて、それまで固定していた自由度を再び利用し、より柔軟で複雑な協調のパターンを成立させるようになる、という考え方です [1] 。
ただし、この「凍結から解放へ」という順序があらゆる技能で一様に見られるかについては、慎重な検討が必要です [2] 。 それでも、技能の獲得によって身体の協調そのものが変化するという問題設定は、依然として重要です。
したがって、
熟練とは、同じ技が正確になるだけでなく、多自由度をもつ身体をより機能的に組織できるようになることである。
とも考えられます。これは本稿でいう①の発達に非常に近いものです。
7. 「技法を覚える」のではなく「身体を扱えるようになる」
この観点からすると、長期的な武術の鍛錬で大きく変化しているものは、個々の技法の数だけではありません。むしろ、
身体という複雑なシステムを、課題に応じてまとめる能力
が変化している可能性があります。
同じ正面切りを何年も行う意味も、単に正面切りの細部を無限に精密にすることだけではありません。その課題を通して、力まないで力を伝える、姿勢を保ちながら大きな力を扱う、複数部位を連動させる、外乱を利用する、相手との関係でタイミングを調整する、といった、より深層の運動制御の能力を更新しています。
この意味では、
「技を練る」ことを通じて、「身体を組織するシステムそのもの」を練っている。
と表現できます。
8. ②は現象、①は生成条件
ここから①と②の関係をさらに抽象化できます。
| 位置づけ | |
|---|---|
| ② 具体的技法 | 現象 |
| ① 生成的能力 | その現象を生み出すための生成条件・生成機構 |
正面切りそのものは観察できます。しかし「この人はどの程度、多数の身体自由度を課題に応じてまとめられるか」は直接には見えにくいものです。 それは異なる課題を与えたり、条件を変化させたりしたときに、はじめて現れます。
ここに重要な問題があります。
現象だけを見る練習では、生成能力を十分に評価できない。
同一の条件で非常に美しい正面切りができても、距離が変わる、相手が変わる、速度が変わるだけで崩れるなら、 ②は高度でも①はそれほど高くない可能性があります。
反対に、一回ごとの動きに多少の差があっても、どのような条件でも課題を成立させられるなら、①は高い可能性があります。
運動研究でも、熟練を単に同じ運動の反復の精度として見るのではなく、同じ課題の結果を異なる運動の解によって達成できる 行動の柔軟性 (behavioral flexibility)として考える必要性が論じられています。
これは前編の 6-1 で述べたことと同じ手続きです。 そこでは、技の本質と変動してよい細部を分けるには、条件を変えて崩れないものを見るしかない、と述べました。
同じ手続きになるのは当然です。前編の「技の本質」と本稿の①は、同じものを別の側から見ているからです。 条件を変えても保たれるものが技の本質であり、それを保てる度合いが①の水準です。 条件を変えるという一つの操作が、両方を同時に見せます。
第II部 型と反復の再定義
9. 型稽古の目的の再定義
この仮説を導入すると、型稽古についての前編の定義をさらに発展させられます。
前編では 型=望ましい自己組織化を引き起こす制約装置 と定義しました。今回の議論を加えると、
型=個別技法を伝承する形式であると同時に、その背後にある基礎的・生成的能力を発達させるための課題装置
と再定義できます。つまり型には少なくとも二つの目的が存在します。
| 目的 | 内容 | |
|---|---|---|
| 目的A | ②の伝承・精密化 | 技の形を伝える/刀筋を整える/間合いを学ぶ/流派に特有の原理を伝える/精密な運動を学習する |
| 目的B | ①の発達 | 全身の協調/重心の制御/自由度の利用/力の伝達/知覚と運動の調整/状況への適応/解の探索能力 |
この二つを区別する必要があります。
10. 型を固定すると、①を十分に鍛えられない可能性
型稽古を完全に同じ条件で繰り返すと、②の精度は高まります。 しかし、その条件に特化した局所解へ収束しすぎる可能性もあります。
そこで、間合い、速度、相手、刀の重さ、初期姿勢、攻撃方向、タイミング、抵抗、足場などを一定の範囲で変化させます。
すると学習者は、「この形を複製する」だけでは課題を解決できなくなります。毎回、
この条件なら、どう身体をまとめるべきか
を探索する必要が生まれます。
エコロジカル・ダイナミクスでは、運動を保存された計画の単純な呼び出しとしてではなく、個体・課題・環境の制約の相互作用によって継続的に再組織化されるものとして考えます。
したがって、練習の条件を変える意味は、単に「応用技を増やす」ことではなく、
①の運動組織化能力そのものへ負荷を与えること
にあると考えられます。
11. 変動は「技を壊すもの」ではなく「生成能力を露出させるもの」
ここは従来型の上達論との大きな違いです。
従来型では、条件を変えることで理想の動作が崩れるなら、「まだ技が固まっていない」と判断されやすいものでした。
しかし今回のモデルでは、
崩れること自体が①を使わせる条件である。
とも考えられます。
固定された条件では、自動化された②だけで問題を解けてしまいます。 条件を揺らすと、それだけでは対応できなくなり、知覚、探索、身体の協調、自由度の調整、問題解決が再び必要になります。
したがって、
環境の変動は、すでにできる技を邪魔するノイズではなく、より深層の生成能力を発達させるための課題となりうる。
ここでは、 前編の12-1で述べた二種類の自動化 が関係します。固定された条件で高まるのは出力の自動化です。条件を変えたときに働くのが、材料を状況に合わせて組む処理、すなわち組み立ての自動化です。
12. 「同じ技を繰り返す」意味も変わる
前編では、反復は完成形を身体に刻み込むためだけではなく、自己組織化を洗練するために行う、としました。今回の仮説を加えると、その意味をさらに精密にできます。
同じ技を繰り返すことには、二つの意味があります。
| 内容 | |
|---|---|
| 表層的反復 | その技そのものの精度を上げる |
| 深層的反復 | その技を生成するために必要な身体の協調・知覚と運動の調整を繰り返し作動させ、基礎的なシステムを発達させる |
したがって重要なのは、「何回、同じ技をやったか」だけではありません。
毎回どの程度、基礎的な運動組織化能力を使う必要があったか
です。
13. 練習設計の評価基準が変わる
ここから、練習そのものの設計の原理も変わります。
| 問い | |
|---|---|
| 従来 | この練習をすると、その技が上手になるか |
| 本稿 | この練習は、どの生成能力を鍛えるのか |
たとえば正面切りを練習するとしても、単純に刀筋を見るだけでなく、次を見ます。全身を一つの協調の単位にできるか。重心を制御できるか。外乱を受けても再構成できるか。距離の情報に応じて動作を変えられるか。下肢・体幹・上肢を協調できるか。刀の重量や慣性を利用できるか。条件の変更に応じて運動の自由度を再編成できるか。
したがって、 すぐれた練習=完成した技法の形に近づける練習 とは限りません。より深い意味では、
すぐれた練習とは、基礎的な生成能力を繰り返し作動させ、それを高度化する課題設計である。
とも言えます。
14. ①が重要だからこそ、制約を変える
この考え方では、変動練習の意味も変わります。単に「いろいろな状況に慣れておく」ことが目的ではありません。
課題の条件を変えることで、
同じ完成形を再生するだけでは対応できない状況を作る
ことが重要になります。そこで、知覚する、選択する、協調関係を変える、既存のリソースを組み合わせる、新しい運動の解をつくる、という必要が生じます。
つまり、 変動を加えることによって①を働かせます。 これが本稿における変動練習の中心的な意味です。
実験研究でも、連続する試行で同じ運動を繰り返す回数を減らし、試行のあいだで課題を変化させることで技能の獲得が高まる可能性が示されています。
ただし、前編で確認したとおり、変動量が多いほど常によいとは言えません。 技能の水準や課題に応じて、安定化と変動のバランスを設計する必要があります。
第III部 生成能力の階層
15. ただし①を「完全な汎用能力」と考えない
ここでは一つ、重要な留保が必要です。
このモデルを極端に一般化して、「剣術を練習すれば身体制御の能力全般が高まり、あらゆる運動が上手になる」と考えるのは慎重であるべきです。 技能の転移には課題の特異性があります。
一方で、過去の運動経験によって、未知の運動課題そのものを学習する能力が高まる可能性を示した研究もあります。ザイドラーは、五つの異なる運動課題(三つは互いに類似し、二つは無関係)を学習させた実験から、複数の学習経験を経た参加者が新規の課題への適応で優位を示すことを報告しました [3] 。
ただし同じ研究は、重要な代償も報告しています。複数の学習経験を経ると運動は適応的になる一方、外乱に対する安定性は下がります。 これは本稿のモデルとよく整合します。 適応性と安定性は同時には最大化できません。 前編の第6章で「何を安定させ、何を変動可能にするか」を問うたのは、このトレードオフがあるからです。
したがって①は、 何にでもそのまま転移する完全な一般能力 と考えるより、
複数の関連課題に利用できる、より抽象度の高い身体・知覚・協調資源
と考えるほうが妥当です。
16. ①の内部にも階層がある
さらに考えると、①も一枚岩ではありません。次のような階層を仮定できます。
| 層 | 内容 | 例 |
|---|---|---|
| 第1層 | 身体の基本リソース | 筋力、可動性、感覚能力、姿勢保持能力、身体寸法、神経筋機能 |
| 第2層 | 比較的汎用的な運動組織化能力 | 重心制御、多関節の協調、バランス、タイミング、力量の調整、自由度の利用、感覚と運動の調整 |
| 第3層 | 領域特異的な生成能力 | 刀の慣性を利用する、相手との間合いを読む、刀と身体を一体化する、打突に合わせて全身をまとめる |
| 第4層 | 具体的技法 | 正面切り、袈裟切り、特定の受け、特定の型 |
| 第5層 | その瞬間の具体的運動 | 実際の相手・距離・速度・身体状態のなかで成立した一回限りの運動 |
したがって、
上層ほど具体的、下層ほど再利用可能である。
という階層性をもちます。
16-1. 転移するのはどの層か
第15章の留保は、この階層と組み合わせるとより正確になります。
転移しやすいのは、比較的、汎用的な 第2層 です。重心制御やタイミングは、剣術以外の運動にも利用できます。一方、 第3層 は領域に特異的です。刀の慣性を利用する能力は、刀を使わない運動には直接には転移しません。
したがって「剣術を練習すれば何でも上手になる」という主張は、第2層については部分的に成り立ちうる一方、第3層については成り立ちません。 ①を一つの塊として扱うと、この区別が消えます。
16-2. この階層と内部モデルの関係
この五つの層は、本プロジェクト全体が内部モデルの階層として参照しているものです。 第2部の後編で定義したとおり、内部モデルとは解を構成するために使われる材料でした。
| 層 | 本プロジェクトでの位置づけ |
|---|---|
| 第1層から第3層 | 内部モデル(材料) |
| 第4層 | 半ば固定された解 |
| 第5層 | その場で構成されるもの |
「その場で生成される」のは第5層であり、内部モデルがあるのは第1層から第3層です。 層が違うため、「能力は環境や課題によって生成される」という主張と、「能力にあたるものが内部に存在する」という主張が両立します。
第3部の学習論で扱った意味ブロックは、この第2層から第3層にあたるものです。 身体技能と概念の学習は、同じ階層の異なる領域における現れだと位置づけられます。
17. 前編のモデルとの統合
前編のモデルでは、 リソース → 自己組織化 → 技 という構造を考えました。今回の議論を踏まえると、その間に重要な層を挿入できます。
基礎的な身体・知覚リソース
↓
生成的・協調的能力
↓
+課題・環境・制約
↓
具体的技法
↓
実際の行為
そして学習は、この一方向ではありません。 具体的な技法を繰り返し練習することで、その下にある生成的な能力も変化します。したがって次の循環が形成されます。
①生成能力 → ②具体的技法
②具体的技法の鍛錬 → ①生成能力の発達
第IV部 型稽古の再解釈
18. このモデルから見た型稽古
型稽古の深い意味も、この循環から説明できます。
表面的には「昔から伝わる技を正確に保存する」ことに見えます。しかし実際には、
型という具体的課題を媒介として、より下位にある身体組織化能力を繰り返し働かせている
可能性があります。
そう考えると、 型を一切変えないことだけが伝統的な稽古の本質とは限りません。 型が本来、引き出そうとしている身体の協調、重心の制御、力の伝達、間合い、知覚と行為の関係を維持しながら、課題の条件を適切に変えることにも意味があります。
型の外形を保存することと、型が鍛えようとしている生成能力を保存することは、必ずしも同じではない。
これは伝統武術論として重要な論点になりえます。
18-1. 第1部の文化論との対応
この区別は、第1部で文化について述べたことと同じ形をしています。
第1部の第23章では、「保存の対象としての伝統」と「現実に対する有効性の主張」を分離することで、保存と適応を両立できると述べました。 本章はその技能における現れです。
| 文化のスケール(第1部) | 技能のスケール(本稿) | |
|---|---|---|
| 保存すべきもの | 歴史資料、古典的な型 | 型の外形 |
| 外部の検証へ開くもの | 「この方法こそ現代でも最適である」という主張 | 型が鍛えようとしている生成能力が働いているか |
第1部で文化の健全性の指標とした往復可能性は、技能の水準では「条件を変えても課題を成立させられるか」として現れます。 型が閉じるとは、外形だけが残って、それを生んだ機能的原理が確かめられなくなることです。
19. 「型を残す」から「型を生成できる身体を育てる」へ
今回の仮説をまとめると、次のようになります。
武術教育の目的は、完成された型をそのまま再現できる身体をつくることだけではなく、型に表現されている機能的原理を、その場の条件に応じて再生成できる身体を育てることにある。
もちろんこれは「型は不要である」という意味ではありません。 むしろ逆です。
型は、過去の熟練者が発見した解、身体原理、知覚と運動の関係、戦術的な条件を圧縮して伝える、重要な文化的装置です。
しかし、それを完成した結果としてのみ複製すると、型が本来、生み出そうとしていた生成能力を失う可能性があります。
第2部の後編で述べた「コピーより再生成」が、ここでも当てはまります。 型という形式は保存できます。しかし、それが生まれた身体の関係を次の世代が実践のなかで再構築しなければ、生きた技法としては十分に継承されません。
20. 仮説の整理
以上をまとめると、本稿の中心の命題は次のようになります。
命題1 技能鍛錬では、具体的技法と、それを生成する基礎的な運動組織化能力が同時に発達している。
命題2 目に見える具体的技法は現象であり、その背後には身体自由度をまとめ、知覚情報を利用し、課題に応じて運動を構成する生成的能力が存在する。
命題3 長期的な上達では、個別技法そのものの精密化以上に、個別技法を生み出すシステム自体の高度化が重要である可能性がある。
命題4 具体的な技法は、生成能力から生み出されると同時に、その技法を練習することによって生成能力を発達させる課題でもある。
命題5 したがって練習設計では、「どの技を上達させるか」だけではなく、「その練習によってどの生成能力を作動・発達させるか」を問う必要がある。
命題6 型稽古も、型の外形を精密化するだけでなく、型を媒介として基礎的な運動組織化能力を鍛えるものとして再解釈できる。
命題7 条件や制約を適切に変化させることは、固定化された具体的技法だけでは解決できない状況をつくり、より下位の生成能力を再び作動させる。
21. 前編との接続
前編では、 上達とは「技を所有すること」ではなく、「よりよい技を生成できるシステムになること」である と整理しました。
今回の仮説によって、この命題の中身がさらに明確になりました。 「技を生成できるシステム」とは、抽象的な表現ではありません。身体リソース、多自由度の協調、姿勢と重心の制御、知覚と行為の結合、タイミング、力量の調整、探索の能力、過去に形成された安定した協調関係などから構成されます。
したがって、
個別技法の練習とは、具体的技法をつくる過程であると同時に、その技法を生み出す生成システムを鍛える過程でもある。
という二重の構造が見えてきます。
22. 今後の理論的課題
今回の仮説をさらに強くするには、少なくとも次の点を検討する必要があります。
第一に、「生成能力」をどの程度まで一般化できるかです。 完全に汎用的な身体制御の能力なのか、それとも「剣術内で複数技法に転移する能力」「打撃系の運動で共有される能力」のように、いくつかの階層があるのか。 16-1で第2層と第3層に分けて答えを示しましたが、その境界がどこにあるかは示していません。
第二に、何を変化させ、何を固定するべきかという練習設計上の問題です。 制約を変えすぎれば、そもそも学ばせたい原理が消える可能性があります。したがって、
鍛えたい機能的不変項は維持しながら、それ以外の条件を変化させる
という原理が必要になる可能性があります。 ただし前編の 6-1 で述べたとおり、何が技の本質かは条件を変えてみるまで分かりません。維持すべきものを知るために、条件を変えなければならない。ここには循環があります。 この循環をどう解くかは未解決です。
第三に、具体的技法の精密化と生成能力の発達を、どう評価し分けるかです。 同一の条件でのフォームの精度を測るだけでは生成能力は測れません。異なる距離、速度、相手、課題などへの適応を見る必要があります。したがって、評価法そのものも、 完成した形の測定 から 変動する状況への適応能力の測定 へ拡張する必要があります。
23. まとめ
本稿では、これまでの技術論を受け、 「技法がどう形成されるか」から、「技法を生み出す能力そのものがどう形成されるか」 へ問いを移しました。
剣術の稽古では、正面切りを練習して正面切りを上達させているだけではありません。正面切りという課題を通して、 身体をまとめる、知覚する、調整する、探索する、再構成するという、より基礎的な能力そのものを発達させている 可能性があります。
したがって、技能には ①生成的・基礎的能力 と ②具体的・現象的技法 という二重の構造が存在します。②は①から生成され、②を練習することによって①も発達します。
そして、①を本当に発達させるためには、同一の条件で②を無限に精密にするだけではなく、一定の範囲で課題や制約を変化させ、
その都度、身体を再び組織し直さなければならない状況
をつくることが重要になります。
この観点からすれば、最も深い意味での稽古とは、
個別技法という課題を媒介として、よりよい運動を生成できる身体―知覚システムそのものを鍛えることである。
と仮定できます。
ここまでが本編です。 第1部で文化から開放系と閉鎖系という区別を取り出し、第2部で一般モデルとして定式化して語の境界を決め、第3部で個人の認知へ、第4部で身体技能へ降ろしました。
補論では、この体系そのものを対象にします。 思想体系を反証可能性で評価できるのか。本プロジェクトのモデル自体は、修正されうる構造をもっているのか。 各稿の末尾に置いてきた「この見方が外れる条件」を、プロジェクト全体のレベルで問い直します。
この見方が外れる条件
本モデルは、次の場合に成り立ちません。
- ②の練習が①を発達させない場合。 本稿は二重構造の中心を、技法の練習が同時に生成能力を発達させる点に置いています。技法の練習が当該技法の精度だけを高め、他の課題への適応にまったく影響しないのであれば、この循環は成り立ちません。
- 条件を変えなくても①が評価できる場合。 第8章は、生成能力が条件を変えたときにはじめて現れると述べています。同一の条件での観察だけから生成能力を測れるのであれば、条件変更の位置づけは大きく変わります。
- 五つの層が実質的に分けられない場合。 第16章は①の内部に階層を仮定し、16-1で転移する層としない層を分けました。これらが独立に観察・測定できないのであれば、階層の区分は記述上の便宜にとどまります。
注記
本稿の「①生成的能力と②具体的技法の二重構造」「五つの層」「型の外形と生成能力の区別」という枠組み自体は、既存の単一理論として存在するものではありません。 本稿が立てた仮説モデルです。
本稿は前編と一体の稿であり、運動学習研究への言及の多くは前編の脚注1・2・6・9〜13が対応します。また 16-2 で身体技能の五層を概念の学習と同じ階層として扱っていますが、これは構造的な類推です。
参照資料
1. Vereijken, B., van Emmerik, R. E. A., Whiting, H. T. A. & Newell, K. M. (1992). “Free(z)ing Degrees of Freedom in Skill Acquisition.” Journal of Motor Behavior , 24(1), 133–142. DOI: 10.1080/00222895.1992.9941608. 初心者が自由度を凍結し、熟練にともなって解放していくという古典的なモデルを実験的に検討しています。 https://doi.org/10.1080/00222895.1992.9941608 ↩
2. ニューウェル(Newell, K. M.)& Vaillancourt, D. E. (2001). “Dimensional change in motor learning.” Human Movement Science , 20(4–5), 695–715. DOI: 10.1016/S0167-9457(01)00073-2. 学習にともなう協調の次元の変化は、課題の要求によって減少する場合も増加する場合もあると論じています。 「凍結から解放へ」という一方向の順序が普遍的ではないことの根拠です。 https://doi.org/10.1016/S0167-9457(01)00073-2 ↩
3. ザイドラー(Seidler, R. D.)(2004). “Multiple Motor Learning Experiences Enhance Motor Adaptability.” Journal of Cognitive Neuroscience , 16(1), 65–73. 五つの異なる運動課題(三つは類似、二つは無関係)を学習させ、複数の学習経験を経た参加者が新規の課題への適応で優位を示すことを報告しています。 同時に、適応性が高まる一方で外乱に対する安定性は下がることも示されています。 https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/15006037/ ↩
本稿は前編と一体の稿です。 運動学習研究への言及の多くは、前編『技術・上達・能力の自己組織化モデル』の脚注1・2・6・9〜13が対応します。