行為空間の設計:創発を守る組織と社会の原理

本稿は「人間と社会の二重の工学化」を二分割したうちの後編です。前編「二重の工学化:近代は人が伸びる仕組みに何をしたのか」で立てた人間観を使って、組織と社会の設計原理を組みます。

前編を読んでいなくても本稿だけで読めるよう、第0部に前編の結論をまとめています。

要旨

前編では、 人は探索し、試し、結果を受け取り、修正する循環によって学び、能力は人・他者・道具・環境・課題の関係から現れる という人間観を提示しました。本稿では、その循環を守る組織と社会の形を考えます。

人間社会は、全面的な設計から始まったわけではありません。慣習、地域の実践、交換、相互扶助、試行錯誤が積み重なり、全体を構想する一人の設計者がいなくても秩序が形づくられてきました。近代はそこへ工学的な仕組みを導入し、安全性、予測可能性、大量生産、広域調整を高めました。一方で、局所知、多様な試行、人が自ら判断して学ぶ循環を弱める場合もありました。

目指すのは、近代以前の社会へ戻ることでも、管理をなくすことでもありません。工学的な方法が必要な領域と、探索や自己組織化を守るべき領域を見分け、決定と制約を適切な階層へ置くことです。本稿は、その判断原理を不可逆性、外部性、局所知、探索性、多様性、問題の規模という六つの軸から組み立てます。

中心となる提案は、 中央は人々の行動を細部まで決めるのではなく、行為空間を設計する というものです。ただし、六つの軸が反対方向を指す場合にどうするのか、その判定を誰が下すのかという問題が残ります。本稿は、この二つを含めて、検証可能な制度設計の仮説を示します。

第0部 前編からの受け渡し

0-1. 前編は何を述べたか

前編の議論を、四点にまとめます。

第一に、近代社会は世界を計測できる形へ組み替えてきました。 自然、労働工程、組織、市場、行政を、分類し、計測し、標準化し、予測し、管理する。これは失敗したから広がったのではなく、成功したから広がりました。工業、土木、医療、行政、物流において、歴史的に例のない規模の生産力を実現したからです。

第二に、その方法が人間へも向かいました。 組織が人の能力、行動、成果を測る。やがて人が自分自身を測るようになる。目標を設定し、時間を管理し、感情を調整し、生産性を測る。管理は消えたのではなく、内面化されました。前編はこの二方向を「二重の工学化」と呼びました。

第三に、情報社会では、この構造がデータを介した再帰ループになります。

経験・行為 → データ化 → 分類・採点 → 可視性・機会の配分 → 予期的な自己調整 → 新たな経験・行為

第四に、この仕組みは人が伸びる循環を分割します。 本来、

主体性 → 探索 → 試行 → 相互作用 → 学習 → 創造 → 成長

と一続きであるはずのものが、認識は管理者、判断も管理者、行為だけが本人、評価はまた管理者、という形に切り分けられます。

ここから前編は、次の人間観へ着地しました。

  • 基礎から応用へという大まかな流れはありえても、学習は完成した部品の積み上げではない。基礎の内部でも探索、予測、結果とのずれへの気づき、修正が循環し、その反復が応用へつながる。
  • 人は身体、情動、安全感、関係の中で認識する。理性はそこから独立していない。
  • 理性は世界を圧縮する働きであり、圧縮を現実へ戻す回路を必要とする。
  • 能力は個人の内部ではなく、 個人 × 他者 × 道具 × 環境 × 課題 の関係の中に現れる。

なお、対になる論考「媒介化とメタ化」を先に読まれた方へ。あちらは意味と解釈の側から出発して、認識の質は材料となる一次経験の帯域に左右される、という結論へ至ります。前編とあちらは別の道を通りますが、 現実からの訂正が届く経路を残すこと という同じ地点に出ます。本稿の設計原理は、その経路を制度の側で確保する試みだと読んでいただけます。

0-2. 本稿の問い

前編は一つ、実際に使える結論を出しました。

標準化それ自体が学習を止めるのではない。標準を誰が改訂できるかが問題である。

標準の改訂権が現場にあれば、標準は学習の足場になります。標準があるからこそ、何を変えたのかが分かり、変更の効果が測れる。標準は仮説であり、現場は実験者になります。改訂権が管理側に独占されれば、標準は学習の天井になります。現場にできるのは遵守か違反かの二択だけになります。

この結論は、もっと一般的な問題の一例です。

どの決定を、どの階層に置くのか。

標準の改訂権だけではありません。予算、採用、価格、手順、目標、評価基準、安全基準、あらゆる決定について同じ問いが立ちます。そして、すべてを現場に置けばよいわけではありません。

本稿の問いは、次のとおりです。

人が伸びる循環を守りながら、同時に全体が壊れないようにするには、何をどこへ置けばよいのか。

結論を先に言えば、 中央は行動を決めず、行為空間を決める という形になります。その内訳を、これから六つの軸で示します。


第I部 二つのモデルと使い分け

1. 工学モデルと生態系・複雑系モデル

人間社会の多くの秩序は、生態系のような相互作用から形づくられてきました。言語、慣習、文化、市場、地域共同体、実践知などは、全体を見渡す設計者が一度に作ったというより、多数の人々の行為が長い時間をかけて調整され、変化した結果です。その意味では、生態系モデルは新しく発明する理想像というより、社会がもともと持っていた形成過程を捉え直すモデルです。

近代化は、この自生的な形成過程の上に、機械、工場、官僚制、標準規格、統計、科学的管理などの設計された仕組みを広げました。これらは、大規模な生産、反復可能な品質、安全、予測、広域的な調整を可能にしました。同時に、現場でしか分からない知識を失わせ、人間を交換可能な機能として扱い、多様な試行と創発を狭める場合もありました。

この歴史を踏まえて議論を最も抽象的に整理すると、

機械として社会を見るモデル

生態系として社会を見るモデル

の対比になります。

本稿が問題にするのは、社会を機械として捉え、その構成要素を設計・配置・管理すれば全体を最適化できるとみなす見方です。この見方に立つと、伝統的な場は非効率・非合理的・保守的なものと評価され、より効率的な技術や企業組織へ置き換えるべき対象とみなされやすくなります。

一方、20世紀後半以降、複雑系科学、サイバネティクス、システム論、ネットワーク科学、自己組織化論、進化論的アプローチ、行動経済学、認知科学、生態学的アプローチなどを通して、工学モデルだけでは説明しにくい現象が研究されるようになりました。そこで重要になるのが、創発、自己組織化、適応、ネットワーク、フィードバック、非線形性、進化、多様性、レジリエンスといった概念です。

この世界観では、

優れた全体は、必ずしも優れた設計者によってトップダウンで作られるわけではない。

多数の主体が局所的に相互作用することで、全体として新しい秩序が形成されます。生態系、市場、脳、社会、インターネット、文化、企業などを、多数の主体が相互作用しながら変化するネットワークとして理解します。

二つのモデルを並べると、次のようになります。

工学モデル 生態系・複雑系モデル
設計 発生・進化
管理 自己組織化
制御 適応
標準化 多様性
再現性 創発
予測 探索
マニュアル 暗黙知
中央集権・一元管理 分散・多中心的ネットワーク
最適化 適応可能性
固定された役割 可変的な関係
人材 主体・生物
組織=機械 組織=生態系

ここでは、未来を正確に予測して最適なシステムを設計することより、 予測できない変化が起きても適応できるシステムを作ること が重要になります。

1-1. 進歩史でも回帰論でもない

重要なのは、右側が常に優れているということではありません。

橋を建設する場合、創発に任せるわけにはいきません。飛行機の整備も、自由な自己組織化より厳密な標準化が重要になります。逆に、新規事業、研究、芸術、教育、組織文化、人間関係、イノベーションなどでは、すべてを事前設計しようとすることが逆効果になります。

したがって、工学モデルを捨てて生態系モデルへ一方向に移行する進歩史として読むべきではありません。同時に、近代以前の共同体や慣習へ戻ればよいという回帰論でもありません。自生的秩序には、身分制、排除、慣習の固定化、地域間の不均衡などもありました。近代社会の人口、技術、相互依存の規模を、前近代の制度だけで処理することもできません。

必要なのは、工学モデルがもたらした安全性、共通基盤、予測可能性、広域調整を保持しながら、自生的な秩序形成に含まれていた局所知、相互調整、多様性、試行錯誤を未来の制度へ再統合することです。人間・組織・社会のような複雑な対象について二つのモデルを併用し、 適用範囲を再配置する動き として捉えるほうが正確です。

したがって問題は、

工学的管理そのものではなく、それが適さない領域にまで工学モデルを一般化してしまうこと

にあります。

さらに、これは「中央集権は悪く、分散は善である」という単純な価値判断でもありません。安全・権利・巨大な外部性・不可逆な損害を扱う領域では、共通ルールと上位レベルの介入が必要になります。一方で、局所知・探索・多様性・可逆的な試行が重要な領域では、現場に判断を置く必要があります。

本稿の課題は、二つのモデルのどちらかを全面採用することではありません。 どの問題を、どの階層で、どの程度標準化・制約し、どの部分を自己組織化に委ねるか を判定する原則をつくることです。これが第III部の主題になります。


2. 合理性ではなく適用範囲の問題

この議論を単純な近代批判や合理主義批判にするべきではありません。合理化、標準化、官僚制、科学的管理、工学的設計は、近代社会を成立させたきわめて重要な技術です。 問題なのは、

機械に対して成功した方法を、人間・組織・社会にまで無制限に拡張すること

です。

人間は完全な合理的主体ではありません。組織は機械ではありません。社会も中央から完全に設計できる対象ではありません。

それらは、 身体性、感情、関係性、歴史、偶然、暗黙知、相互作用、学習、創発 によって変化する複雑な存在です。

その意味で、これから必要となる思想的な再編成を、

「あらゆる対象を機械として扱う文明」から、「対象の性質に応じて工学モデルと生態系モデルを使い分ける文明」への再編成

として捉えることができます。これは、生態系モデルが工学モデルに取って代わるという単線的な移行ではありません。対象と領域に応じて、両者の適用範囲を組み替えるという意味です。

科学や思想のレベルでは、複雑系・創発・ネットワーク・限定合理性といった考え方が広がっています。

その一方で、企業、行政、教育、労働、そして個人の日常生活には、

計測し、管理し、改善し、最適化する

という近代的な工学思想が深く残っています。

さらに現代では、その管理思想が自己啓発や自己管理を通して個人の内部にまで入り込んでいます。 したがって現代社会の特徴は、単純に「社会が人間を管理している」ことではありません。

工学化された社会の中で、人間自身が自分を工学化し、その人間が再び工学化された社会を再生産している。

これが「二重の工学化」という仮説の中心です。

そして、現代におけるストレス、燃え尽き、適応困難、組織の硬直化といった現象を考える際にも、個人の能力や病理だけを見るのではなく、

人間という複雑な生物を、どのような人間モデルにもとづいて社会へ組み込んできたのか

という、より大きな歴史的・制度的問題から捉え直す必要があります。 その先にあるのは、管理を完全に捨てることではありません。

工学的設計が有効な領域では工学を使い、複雑性・創発・主体性が重要な領域では、それを損なわない制度を作ること。

すなわち、

「人間をどう管理するか」から、「人間が自律的に活動し、相互作用し、創発できる条件をどう整えるか」へ。

この転換が、近代的な工学化の成果を捨てることなく、その限界を超えていくための次の課題だと考えます。 では、その「条件を整える」とは具体的にどういうことか。次の部で、判定の原則を示します。


3. 領域ごとに適するモデル

前編の冒頭で示した全体図は、時代が段階的に進むという主張ではありませんでした。本稿の立場により忠実なのは、 領域ごとに適したモデルが違う という見方です。次の対応表が、ここまでの議論のまとめになります。

領域 工学モデルの比重 生態系モデルの比重 理由
航空整備、建築、食品安全 高い 低い 失敗が不可逆で、他者の生命に及ぶ
会計、法令遵守、共通規格 高い 低い 共通性が高く、統一に価値がある
大量生産の既知工程 高い 中程度 既知だが、改善には現場知が要る
顧客対応、営業 中程度 中程度 局所知が重要だが、最低基準も要る
教育、医療 中程度 中程度 局所知と多様性が重要だが、不可逆性も大きい
研究、新規事業、創作 低い 高い 正解が未知で、探索が必要
組織文化、人間関係 低い 高い 細部まで設計すると関係を損ないやすい

この表の各行がなぜその配分になるのかは、第III部の判定軸によって説明できます。


4. AI時代との関係

この問題はAI時代になると、さらに複雑になります。

近代企業では、人間が機械的・標準的な仕事を担当してきました。しかしAIと自動化が発達すると、情報処理、定型判断、文書作成、データ処理、標準化された知的労働まで機械が担えるようになります。

すると逆説的に、人間に残される価値は、創造、探索、問いを作ること、意味を形成すること、他者と関係を作ること、文脈を理解すること、身体を使うこと、偶然から発見すること、暗黙知を形成することといった、従来の工学的組織が扱いにくかった領域へ移っていきます。 第0部で述べた学習の循環が、そのまま人間の役割になるということです。

つまり、

人間を機械化することで成立してきた近代企業が、本物の機械の高度化によって、人間を機械として扱うことの限界に直面する

という逆説が生じます。

4-1. AIが反対方向へ働く場合

ここで、楽観的な見通しだけを述べるわけにはいきません。前編の第13-1章で見たとおり、AIとアルゴリズムは、データ化、分類、採点、可視性の配分という再帰ループの中核でもあります。 AIは、工学化を弱める方向にも、強める方向にも働きます。

強める方向は、これまで直接には捉えにくかった行動、感情、関係、注意まで推定・評価の対象にすること、測定の頻度と粒度を上げて評価の空白時間を減らすこと、個人ごとに最適化された介入を安価にすること、そして「データが示している」という形で評価基準を議論の外へ置くことです。弱める方向は、定型的な管理業務そのものを代替して管理密度を下げること、標準的な作業を引き受けて人間の時間を探索へ振り向けること、局所的な判断に必要な情報を現場が自分で扱えるようにすることです。 どちらへ転ぶかは、技術の性質ではなく、 その技術をどの制度が、誰の利益のために運用するか によって決まります。本稿はこれを、AIの本性についての予測ではなく、制度設計の課題として扱います。第III部の判定原理は、この分岐にも適用できます。

なお、本章で述べたAIの将来像は、既存研究の結論ではなく、現時点での見通しです。


第II部 工学的な組織は何を失っているのか

5. 企業が失う創造性と余剰能力

本稿では、工学的管理が失わせうるものを、創造性だけに限定しません。人間が役割を超えて持っている能力を 余剰能力 と呼び、その一部も組織活動から切り離されると考えます。

人間は、担当業務に直接関係しない経験、興味、知識、人間関係、身体感覚、発想を大量に持っています。しかし職務が細かく分割され、「担当業務ではありません」と境界づけられると、それらは組織活動から切り離されます。

会社は社員を効率的に使っているつもりで、

社員という複雑な人間の、あらかじめ職務として定義された一部分しか活用していない

ことになります。

工学的経営では、無駄をなくすことが重視されます。しかし本稿の見方では、無駄に見える余剰、多様性、冗長性が、環境変化へ対応するための選択肢になります。効率だけを極限まで高めた組織は、平常時には強くても、変化に対応する余地を失う可能性があります。

したがって、「その職務に必要な能力だけを発揮させる」ことは短期効率には適していても、 新しい価値を生む余白を失わせます

6. 「豊かさの生産」を創発として捉え直す

従来の工学的モデルでは、豊かさの生産は、

労働投入 × 資本 × 技術 → 生産

という形で捉えられやすくなります。

しかし知識社会・創造経済では、次のような非線形な価値創出が重要になります。

  • 人と人が出会う。
  • アイデアが混ざる。
  • 新しい用途を思いつく。
  • 趣味が事業になる。
  • 失敗から別の商品が生まれる。
  • 社員が自発的に始めた活動が新事業になる。

この観点から、豊かさが設計された生産工程だけでなく、

人間同士、および人間と環境の相互作用からも創発する。

したがって、

人間を管理することによって価値を生む経済

から、

人間が活動できる生態系をつくることで価値が創発する経済

への転換を構想できます。

7. 機械型組織と生態系型組織

工学的・機械型 生態学的・創発型
人間=資源 人間=主体
能力=個人属性 能力=関係から創発
指示 自律
役割固定 役割可変
正解を教える 試行錯誤させる
失敗を防ぐ 小さな失敗から学ぶ
マニュアル 原則・目的
管理者が判断 現場が判断
評価による動機づけ 内発的動機づけ
個人成果 相互作用
無駄を削る 余白を残す
効率 適応力
人材育成 成長環境の形成
組織を設計する 組織を育てる

ただし、これは二者択一ではありません。製造、安全、会計、法令遵守などでは左側の比重が高くなります。研究、教育、新規事業、知識労働、創造的活動では右側の重要性が増します。これは第3章の領域別マトリクスと、第III部の判定軸によって決まります。

そして前編が示したとおり、左側の組織が必ず学習を失うわけではありません。左側の道具立てを持ちながら、標準の改訂権を現場に残している組織は、右側の性質を同時に持ちます。

したがって次の組織論は、

管理をなくすことではなく、何を管理し、何を自己組織化に委ねるかを設計すること

になります。

8. 組織・社会モデルの見直し

第一段階の人間観と学習観を基礎に、組織を生態学的に捉え直します。ジェームズ・C・スコットの可読化と局所知の議論、デヴィッド・グレーバーの官僚制批判、ハイエクの知識問題、マーチの探索と活用、オストロムの多中心的ガバナンスなどが接続できます。

組織には、自ら試す、遊ぶ、小さく失敗する、発見する、気づく、学ぶ、上達するという過程を組み込みます。人を正しい行動へ矯正するのではなく、人が環境との相互作用を通じて能力を形成できる条件をつくります。

社会のあり方も、官僚制的・中央集権的な仕組みだけで一元化しません。市場、地域、コミュニティ、専門組織、個人などに分散した知識と判断を活かし、創発的・自生的秩序を再評価します。ただし、中央集権を全面否定するのではなく、第III部の基準に従って権限と制約を配置します。


第III部 中央化と分散化を判定する設計原理

9. 判定の原理

中央集権か分散かを価値判断で選ぶだけでは、理論として弱いままです。「どの条件なら中央化し、どの条件なら分散化するか」を判定する原理が必要になります。

最も簡潔な基本原理は、次のように表現できます。

共通性・不可逆性・外部性が大きいものは中央または上位レベルで保証し、局所性・多様性・探索性が大きいものは分散する。

中央または上位レベルの役割は、人々の具体的行動をすべて決めることではなく、

全体が壊れないための境界条件・最低条件・共通基盤を保証すること

です。

その内側では、

可能な限り現場・個人・地域・小集団に判断と試行錯誤を委ねる。

これは補完性原理(subsidiarity)と接続できます。すなわち、局所的な単位で十分に処理できる問題はそこで扱い、上位レベルは下位レベルでは処理できない問題を引き受けます。連邦制も、中央と下位単位の間で権限を分割する制度としてこの問題を扱ってきました。 [1]

9-1. 不可逆性が高いほど共通ルールを強くする

たとえば、次の領域です。

  • 原発の安全
  • 航空管制
  • 建築基準
  • 食品安全
  • 基本人権
  • 感染症の重大局面

これらは、失敗したあとに「失敗から学べばよい」では済みません。損害が巨大、回復不能、または他者の生命・権利を巻き込むからです。

失敗コストが高い/不可逆性が高い → 強い共通ルール

となります。

逆に、新商品のアイデア、教え方、チーム編成、デザイン、研究テーマ、トレーニング方法など、小さく試し、問題があれば戻せる領域では分散したほうがよいことになります。

可逆性が高いほど自由に試す。不可逆性が高いほど制約する。

9-2. 外部性が大きいほど上位レベルで扱う

個人の判断の結果を本人が引き受けるなら、本人に任せやすくなります。しかし、自分の行為のコストを他人へ押し付けられる場合は異なります。公害、感染症、金融システム、環境破壊などが典型です。

局所的行為が広範な他者へ影響するなら、より上位の制度が必要になります。

意思決定主体と結果を引き受ける主体が一致するほど分散できる。両者が乖離するほど共通ルールが必要になる。

これは自由と責任を制度的に対応させる問題でもあります。前編の第11章で挙げた市場の失敗の条件は、この軸で処理されます。

9-3. 局所知が重要なほど意思決定も現場に置く

現場にしか存在しない情報が重要なら、中央管理は不利になります。

  • 顧客との微妙な関係
  • その場の身体感覚
  • 地域固有の事情
  • 職人の暗黙知
  • チーム内部の人間関係
  • 不確実な研究状況

中央の管理者は、これらをすべて把握できません。中央管理のためには、

現実 → 報告書 → 数値 → KPI → カテゴリー

という圧縮が必要になります。これは前編の第4-2章でいう操作的抽象化そのものです。

スコットの議論は、統治のために複雑な現実を「可読化」するとき、局所的・実践的知識が失われやすいことを示します。スコットは特に、大規模な中央計画が複雑な相互依存と現場の実践知を無視することで失敗する条件を検討しています。 [2] これはハイエク的な知識問題にも接続します。

必要な情報が現場に分散しているほど、意思決定も現場に置くべき。

9-4. 探索が必要なほど分散する

正解がすでに分かっている問題は標準化しやすくなります。たとえば、部品を加工する温度が確立しているなら、共通手順を使えます。

しかし、どのような新商品が当たるか、どうすれば特定の生徒が上達するか、次にどの研究をすべきかは、事前には分かりません。この場合、中央が一つの正解を決めると探索空間を狭めます。

既知の問題 → 標準化・活用
未知の問題 → 分散探索

これはマーチの exploitation(活用)/exploration(探索) の区別と接続できます。

すでに分かっていることは効率化し、分かっていないことには多様な試行を残す。

9-5. 多様性そのものが価値を持つ領域は分散する

ネジの規格は統一したほうが、互換性とネットワーク価値が高まります。一方で、芸術、教育、文化、生き方、地域社会、商品企画などでは、多様性そのものが価値になります。

中央設計は平均的なものへの収斂を促しやすくなります。複雑な環境では、現在は無駄に見える多様性が、未来の変化への適応資源になります。

統一によってネットワーク価値が高まるものは標準化し、多様性そのものが探索資源になるものは標準化しない。

9-6. 問題の規模と意思決定の規模を一致させる

地方の問題を国全体で決める必要はありません。一方で、一つの地域だけでは解決できない問題もあります。

問題が発生するスケールと、意思決定するスケールを一致させる。

たとえば、次のように考えられます。

  • 町内の公園 → 市町村
  • 河川流域 → 複数自治体
  • 国防 → 国家
  • 気候変動 → 国際協調

「中央か地方か」という固定的な二択ではなく、問題の実際のスケールに権限を合わせます。

9-7. 一本の階層ではなく多中心的ガバナンスを考える

オストロムが示したのは、「国家か市場か」という二択ではなく、さまざまなレベルの自治主体が重なって統治する polycentric governance(多中心的ガバナンス) です。ノーベル講演も「Beyond Markets and States: Polycentric Governance of Complex Economic Systems」と題され、複雑な経済システムを、単一の中心ではなく複数の意思決定単位から捉えています。 [3]

したがって、

中央政府
   ↓
地域
   ↓
組織
   ↓
チーム
   ↓
個人

という一本の指揮命令系統だけで考えるのではなく、

国家 ─ 地域
 │      │
企業 ─ コミュニティ
 │      │
チーム ─ 個人

のように複数の意思決定中心が重なり、それぞれが異なる問題を処理すると捉えます。

9-8. 中央化と分散化の判定表

条件 中央化・上位レベル 分散化・局所レベル
失敗の不可逆性 高い 低い
外部性 大きい 小さい
必要な情報 共通・集約可能 局所的・暗黙的
問題 既知 未知
最適解 比較的一つ 多数ありうる
多様性の価値 低い 高い
試行の可逆性 低い 高い
問題の規模 広域 局所

一文にまとめると、下記のようになります。

不可逆で外部性が大きく、共通知識によって処理できる領域ほど中央化する。可逆的で局所知が重要で、未知性と多様性が大きい領域ほど分散する。

9-9. 軸が衝突した場合

ここまでの判定表には、まだ穴があります。 軸が同じ方向を指すとは限りません。

最も重要な領域ほど、軸は衝突します。

  • 教育 :局所知が重要で、多様性に価値があり、正解が未知です(分散へ)。同時に、子どもへの影響には不可逆性があり、教育の質は社会全体に及ぶ外部性を持ちます(中央へ)。
  • 医療 :患者ごとの局所知が大きく影響します(分散へ)。同時に、失敗は不可逆で、感染症のように外部性が巨大な局面もあります(中央へ)。
  • 金融 :個々の取引判断は局所的で可逆です(分散へ)。同時に、連鎖的な破綻は不可逆で外部性が極大です(中央へ)。

判定表を並べただけでは、これらの領域について何も言えません。そこで、衝突したときの既定値を決めておく必要があります。

本稿の提案は、 補完性原理を、配分の原則としてではなく、立証責任の配分として読む ことです。

補完性原理は通常、「下位で処理できるものは下位で扱う」という原則として理解されます。しかしそこには、もう一つの含意があります。 上位が介入する側に、介入の理由を示す責任がある という含意です。下位に任せる側は理由を述べる必要がなく、取り上げる側が述べる。この非対称性が原理の実質です。

この読み方をとると、軸が衝突して判定できない場合の既定値が決まります。

判定が割れたときは、分散を既定値とし、中央化する側が理由を示す。

なぜ分散を既定値にするのか。外部性が限定され、ほかの条件が同じなら、誤りの回復可能性が異なるからです。分散側の誤りは局所にとどめやすく、他の単位が別の方法を試していれば、比較と修正ができます。中央側の誤りは全体へ一様に及び、比較対象を失わせるおそれがあります。 同程度に誤りうるなら、比較対象が残るほうを既定値にする というのが本稿の提案です。

ただし、この既定値には例外があります。不可逆性が生命・権利に直接かかわる場合です。ここでは、比較対象を残すことより、取り返しのつかない結果を避けることが優先されます。教育と医療が論争的になりやすい理由の一つは、分散を求める条件と、この例外に近い条件を同時に持つことです。

9-10. 判定する主体

もう一つ、本稿にとって避けられない問いがあります。

不可逆性が高いかどうかを、事前に正しく評価できる主体を想定するなら、それは前編の第2章から批判してきた設計主義の前提そのものではないか。

この批判は正当です。第9-1章では原発を「不可逆性が高い」例に挙げましたが、何をどの程度まで制御可能とみなすかという評価自体が誤る可能性があります。不可逆性は、正しく判定できることを前提にしてよい属性ではありません。

本稿の答えは、判定を 一度きりの設計ではなく、改訂され続ける対象 として扱うことです。

  • 判定は仮のもので、誤ることを前提にする
  • したがって、判定そのものにフィードバック回路を付ける
  • 判定の誤りが早く現れるよう、小さく試せる部分から始める
  • 判定の権限を一箇所に集めない。多中心的ガバナンス(第9-7章)は、判定者を複数にする仕組みでもある

この「判定にフィードバック回路を付ける」という工程が、次に述べる再具体化です。

9-11. 再具体化 抽象モデルを現実へ戻す回路

前編の第4-2章で、操作的抽象化は現実の一部を選び、一部を捨てる圧縮だと述べました。捨てられた部分は消えたわけではなく、現実の側に残り続けます。

再具体化とは、抽象を捨てて無媒介な自然状態へ戻ることではありません。 抽象モデルや指標を、身体、物、場所、他者、実践、結果との接触へ戻し、その反応によってモデルを修正する工程です。

操作的抽象化では、次の回路を持たせます。

現実 → 計測・分類 → モデル → 介入 → 現場の結果と局所知 → モデルの改訂

この回路が閉じているかどうかは、次の5点で判定できます。

  1. 抽象化によって消えた情報を、現場から取り戻せるか。 指標に載らない事実を、誰かが報告でき、それが届く経路があるか。
  2. 行為の結果が意思決定者へ戻るか。 決めた人が、その決定の帰結に触れるか。それとも別の誰かが引き受けて終わるか。
  3. 身体感覚、物質的制約、他者の応答、時間経過によってモデルを修正できるか。 現場の実感が、モデルを変える力を持つか。
  4. 指標や物語に合わない例外を、ノイズとして排除せず検討できるか。 「例外です」で処理される件数が増えていないか。
  5. 失敗を小さく可逆的に試し、次の探索へ反映できるか。 失敗が処罰の対象なら、この回路は動きません。

この5点は、工学的組織が機能不全に陥っていないかを見る診断項目として使えます。前編の第12章で述べた「制度の目的ではなく、制度の中でどう評価されるかが重要になる」という状態は、1と3と4が同時に切れたときに起きます。

そして重要なのは、この回路が 再具体化の有無を、現場的かどうかで判定しない という点です。現場を歩くことも、対話も、身体を使う作業も、それ自体では再具体化になりません。それらが モデルを修正する力を持つ場合に限って 、再具体化として機能します。経営者が現場を視察しても、視察が指標を変えないなら、それは儀式であって再具体化ではありません。

なお、対になる論考では、解釈的抽象化についての再具体化の回路(経験 → 解釈・物語 → 表現・選択・制作 → 身体的・物質的・社会的反応 → 解釈の改訂)を扱います。二つの回路は形が同じです。ここが両稿の共通の構造です。

9-12. 中央が設計するのは行動ではなく行為空間

この理論の核心になりうるのは、中央が「何をするか」を細かく決めるのではなく、

してはいけないこと、守るべき最低条件、共有するインターフェース

を決めるという発想です。

たとえば会社なら、中央は次を決めます。

  • 法令遵守
  • 安全基準
  • 財務上限
  • 組織目的
  • 情報共有方式

現場は次を決めます。

  • 具体的な方法
  • チーム形成
  • 実験
  • 顧客対応
  • 学習方法

つまり、

行為を設計するのではなく、行為空間を設計する。

これは、エコロジカル・ダイナミクスの制約主導アプローチと同型の発想です。制約主導アプローチは、学習者・課題・環境の制約を操作することで、学習者が機能的な運動解を自ら生成すると考えます。 [4] 指導者は正解の動作を注入するのではなく、その動作が現れやすい制約を設計します。

ただし、運動学習の枠組みを組織や社会へ移すことは、既存研究の結論ではありません。近年の批判的検討も、スポーツ実践の一部を説明する有用性を認めつつ、実証基盤を超えた適用の拡張へ注意を促しています。 [5] 本稿がここで行っているのは、 構造的な同型性にもとづく類推 です。複数分野を接続して構成した本稿の人間観から見れば、企業や組織にも同じ発想を応用できる可能性がある、という仮説を提示しています。

9-13. 「自由か管理か」という二項対立を超える

この設計原理を採用すると、自由対管理、市場対国家、中央集権対分権、経営者対労働者という単純な対立軸から離れられます。

新しい問いは、

どの階層が、どの種類の制約を設定すべきなのか。

となります。

目的は、人間の自由を無条件に最大化することでも、管理を無条件に最小化することでもありません。

生命的・創発的活動を最大限に残しながら、システム全体の破壊を防ぐために必要な制約を、適切な階層へ配置する。

中心原則は、次のように表現できます。

中央は秩序を細部まで作らない。秩序が生成できる境界条件を保証する。

ただし、安全、権利、巨大な外部性のように自己組織化だけでは処理しにくい領域については、中央または上位レベルが明確に介入します。この形なら、「すべて自由にすれば創発する」という素朴な自由主義にも、「賢い中央が管理すればよい」という工学主義にも陥りません。


第IV部 まとめと検証課題

10. 設計原理としてのまとめ

本稿の主張を、一つにまとめます。

第一に 、工学モデルと生態学的モデルは、どちらかを全面採用するものではありません。領域ごとに比重を配分します。安全、共通規格、既知の工程では前者の比重が高く、研究、創作、組織文化では後者の比重が高くなります(第I部)。

第二に 、本稿は、工学的な組織が失いうるものを創造性だけとは考えません。職務として定義されなかった能力、無駄に見える冗長性、人と人の相互作用から生まれる経路も切り捨てられる可能性があります。効率を極限まで高めた組織は、平常時には強くても変化に対応する余地を失う、というのが第II部の仮説です。

第三に 、配分は価値判断ではなく、六つの軸で判定します。不可逆性、外部性、局所知、探索性、多様性、問題の規模。失敗が取り返しのつかない領域、コストが他者へ及ぶ領域、共通知識で処理できる領域ほど上位へ。可逆的で、局所知が要り、未知で、多様性に価値がある領域ほど現場へ(第9-1章から第9-8章)。

第四に 、軸が互いに逆を指す場合は、分散を既定値とし、中央化する側が理由を示します。教育や医療のように論争的な領域では、軸が衝突します。外部性が限定され、ほかの条件が同じなら、分散側の誤りは局所にとどめやすく、比較対象も残ります。中央側の誤りは全体へ及び、比較対象を失わせるおそれがあります。ただし、生命や権利にかかわる不可逆性が大きい場合は例外です(第9-9章)。

第五に 、判定そのものが誤りうることを前提にします。不可逆性の評価自体が外れることがあります。したがって判定は一度きりの設計ではなく、改訂され続ける対象です。そのために再具体化の回路を置きます(第9-10章・第9-11章)。

第六に 、中央が設計するのは行動ではなく行為空間です。してはいけないこと、守るべき最低条件、共有するインターフェースを決め、その内側は現場が決める。これは前編で述べた「標準の改訂権を現場に残す」という結論の、一般化された形です(第9-12章)。

以上を一文にすると、こうなります。

中央は秩序を細部まで作らない。秩序が生成できる境界条件を保証する。

前編の問いは「人が伸びるとはどういうことか」でした。本稿の答えは「その循環が回りうる空間を、どの階層が、どんな制約で囲うかを設計すること」です。

11. なぜこの論考を書くのか

本稿を書いた目的は、制度設計の万能な処方箋を示すことではありません。前編で提示した新しい人間観から出発したとき、個々人が主体として探索し、試し、結果を受け取り、予測と現実のずれを修正しながら学べる組織や社会は、どのような形になるのか。それをまず理念的に考え、検討可能な仮説として示すことです。

その中心にあるのは、制度の技術より人間観です。人間を、正しい情報と手順を入力すれば期待された行動を出力する資源として捉えるなら、教育は知識の注入になり、会社は職務の分解と人材配置になり、社会は上位からの計画と管理になりやすくなります。一方、人間を、身体と情動を持ち、他者や環境との相互作用を通じて探索し、予測誤差を修正し、能力を創発させる存在として捉えるなら、人の扱い方も変わります。教育を探索と気づきが生じる課題づくりへ、会社を現場が判断し標準を改訂できる学習環境へ、社会を複数の主体が局所知を持ち寄る多中心的な仕組みへ組み替える、という方向が見えてきます。

この変化によって、人は組織の部品として受動的に動くのではなく、活動の主体として関われるようになります。自ら試したい、作りたい、他者へ働きかけたい、上達したいという生命的活動性も、自己啓発によって外から付け加える能力ではなく、探索と創発が許される関係の中で現れやすくなるのではないか。本稿は、その可能性を理念として提案します。

もちろん、本稿が示した組織・社会像には、解決すべき課題とブラッシュアップすべき点が多く残っています。それでも、組織改革を制度や手法の交換だけで終わらせず、その背後にある人間観から問い直すための出発点にはなります。新しい会社のあり方、教育、人材育成、地域や社会の仕組みを考える際のヒントとして、この仮説を置きます。

最後に、本稿自身への注意を書いておきます。 ここで述べた人間観は、使い方によっては新しい管理技術にもなります。 探索や内発的な動機を大切にすると述べながら、結局は既存の組織へうまく適応できる人を育てるための言葉として使われるなら、変わったのは語彙だけということになります。見分ける手がかりとしては、目的を誰が決めたか、断る余地があるか、結果を誰が引き受けるかの三点が挙げられます。この三点が変わらないまま言葉づかいだけが柔らかくなっていないかどうかは、本稿の提案を使う側にも、書く側にも、点検が求められます。

12. この見方が外れる場合

本稿の中心命題が外れる条件を、次の三点に整理します。

  1. 判定軸について。 ここで挙げた六軸の指し示す配分と逆の設計をした組織や制度のほうが、持続的に良い結果を出すことが繰り返し観察されるなら、この判定原理は使えません。

  2. 分散を既定値とすることについて。 軸が衝突する領域において、判断に迷ったとき中央化を既定値とした制度のほうが、長期的に誤りが少なく回復も早いことが示されるなら、第9-9章の提案は誤りです。

  3. 余剰と冗長性について。 職務を厳密に定義し、余剰を削った組織のほうが、環境変化に対して適応が速いことが示されるなら、第II部の見立ては成り立ちません。

いずれも、現時点では検証されていません。制度設計の提案は、運用しなければ確かめられないという性質を持ちます。本稿が示せるのは、 何を観察すれば確かめられるか というところまでです。

13. 今後の研究課題

  1. 不可逆性、外部性、局所知、探索性、多様性、規模という判定軸を、実際の組織制度へどう翻訳するか。
  2. 軸が衝突する領域で、分散を既定値とし中央化する側に立証責任を置く運用は、実際に機能するか。
  3. 判定の可謬性を織り込んだ改訂の仕組みは、どのように制度化できるか。
  4. 再具体化の五つの判定項目を、組織診断の指標として使えるか。
  5. 余剰能力・冗長性・遊び・職務外の関心が、組織の適応とイノベーションにどのように寄与するか。
  6. 多中心的ガバナンスは、責任の拡散や調整コストをどのように処理するか。
  7. 行為空間の設計という発想を、制約主導アプローチの知見からどこまで具体化できるか。運動学習からの類推が成立する範囲はどこまでか。
  8. AIによる測定と自動化が、工学化を強める方向と弱める方向のどちらへ働くかを分ける制度条件は何か。
  9. スコット、ハイエク、マーチ、オストロム、グレーバーの議論を、概念の混同なく一つの設計理論へ接続できるか。

注記

本稿が既存研究から直接参照しているのは、補完性原理と連邦制における権限分割、スコットの可読化と局所知、オストロムの多中心的ガバナンス、制約主導アプローチとその適用範囲をめぐる議論です。一方、工学モデルと生態系モデルの対比、領域別の配分、AIの両義性、余剰能力と冗長性、六つの判定軸の統合、分散を既定値とする提案、再具体化、行為空間の設計は、本稿がそれらを接続して構成した仮説です。とくに、運動学習の枠組みを組織や社会へ応用する部分は、既存研究の結論ではなく構造的な類推です。


参照資料

1. Stanford Encyclopedia of Philosophy. “Federalism.” https://plato.stanford.edu/entries/federalism/

2. Scott, J. C. (1998). Seeing Like a State: How Certain Schemes to Improve the Human Condition Have Failed . Yale University Press. https://yalebooks.yale.edu/book/9780300078152/seeing-like-a-state/

3. Ostrom, E. (2009). “Beyond Markets and States: Polycentric Governance of Complex Economic Systems.” Prize Lecture, Nobel Prize. https://www.nobelprize.org/prizes/economic-sciences/2009/ostrom/lecture/

4. Renshaw, I., Chow, J. Y., Davids, K., & Hammond, J. (2010). “A constraints-led perspective to understanding skill acquisition and game play: a basis for integration of motor learning theory and physical education praxis?” Physical Education and Sport Pedagogy , 15(2), 117–137. https://doi.org/10.1080/17408980902791586

5. Collins, D., Carson, H. J., Rylander, P., & Bobrownicki, R. (2025). “Ecological Dynamics as an Accurate and Parsimonious Contributor to Applied Practice: A Critical Appraisal.” Sports Medicine , 55(4), 799–810. https://doi.org/10.1007/s40279-024-02161-7